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zoom RSS 島田氏 ファッションの伊勢丹史 4章3

<<   作成日時 : 2014/01/13 17:52   >>

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第4章3
既製服はハイリスクなビジネス
 イージーオーダーに比べて、新しい既製服ビジネスは毎シーズン新しいデザインを発表して色とサイズを揃えた製品の在庫負担を持つという今までにないリスクをメーカー、小売業が持つこととなる、ハイリスクなビジネスである。
 それに加えて生産現場から小売店頭までの「ハンガー納品システム」を取り入れることは既製服を運び、保管するためのスペース確保、販売に必要な試着室、顧客のフィット感を満たすお直しという補正サービス体制の確立、そしてこれらをベストに運営する情報や物流システムを新たに整える投資が各企業に必要であった。

第4章4
 私が入社した1962年、伊勢丹は1階が紳士婦人の服飾雑貨、2階がティーンエイジャーショップ、カジュアルショップ、ベビーショップ、子供服・用品、3階が次の図のように、紳士服と婦人服がフロアーを半分ずつ使用していた。婦人服部門の半分を服地が使い、残りをイージーオーダーと既製服が使用していた。婦人既製服が4分の1とは、まさに洋服は生地を購入して仕立てるオーダーメード時代から既製服成立期への入口にあった。しかし1968年リモデル時に3階すべてが婦人服フロアーとなり図の面積の3倍に拡大するのである。

服地・オーダー
 私は、自らの適性が分らないまま婦人服地売り場に配属になった。しかし、その後ファッションの道を歩むことになるが最初の4年間にすべての基本となる素材に触れたことは次の婦人服へのジョブローテイションで大きな自信となった。
 当時はもちろん素材についても要尺(洋服を作るための生地の必要量)も分らずであったが時が経ち隣のオーダーサロンのデザイナー近藤百合子先生、隅田房子先生、石黒佐和子先生のデザイン画や仮縫いそして仕立て上がりの作品に触れるうちに「なぜ平らな布地が立体の洋服になるのか」そのクリエイティブな仕事に段々興味を持つようになった。
 1シーズンを経験すると布地に慣れて鋏の切れ味が気になってくると自分の使っている長太郎(ハサミのブランド)に愛着を感じ常に様子を見て研ぎに出したものである。
 戦前、父が紳士テーラーを開業していたので家にはミシン、裁断代、裁断ハサミ、チャコ(生地にマークをつけるチョーク)、物差しなどが残っていた影響かもしれない。
 入社後、半年を経たころ、服地に対する興味と知識欲が出て「田中千代著・服飾辞典・講談社」を購入した。その後、常に身近に置いて永く使用した。田中千代先生が長年に渡り経験され、調査した内容はまさに実学書ある。接客を重ねてお客様から学ぶことが増えると同時に服地の知識を一層高めようと、プリント工場、毛織物産地の尾州、三重のニッケ工場など、生産現場を仲間と訪ねて物つくりの原点から学び自信を深めていった。

島田 茂



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