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zoom RSS 国民の衣料生活を豊かにした合繊メーカーの躍進

<<   作成日時 : 2014/04/16 15:19   >>

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 戦後、天然繊維不足からウールと綿製品は高値が続いていたが合繊メーカーの新商品の開発と量産によって生地の低価格化を実現した。合繊は朝鮮戦争の始まった1950年代以降「糸偏景気」といわれて輸出製品産業の花形となり、50年代には日本の合繊メーカーは世界第一の輸出国の地位を固めた。
織物は50%以上のシェアーを占めるようになった。
 輸出商品の合繊は世界景気にも左右される。需要と生産のバランスが程よく行っている時期はメーカーも利益を確保できるが永い間には何度となく好、不不況の波があった。国内需要への供給に応える形で増産を続けた結果、ウールや綿に比べて合繊は低価格であり、洋服、洋品の製品価格を押し下げ国民生活をバックアップしたのである。
 各メーカーは素材は如何に大量に生産して販売するかを考えていた。1951年東レはナイロンの生産を開始し、「繊維新素材時代」の幕開けとねり、その後三菱レーヨン、旭化成(ベンベルグ)など各社から続々新商品が登場した。これらの新商品開発と共に既製服化へのサイズに対して研究も進行していた。
 その後、今日まで、新しい技術開発によって作り出された新合繊はこれまでとは異なる特性を持つ、特にポリエステル長繊維を中心とする薄起毛調、梳毛調、シルク調などさまざまな表情をもつ繊維が開発されてきた。これら素材を使用して多くのファッション商品が生み出されてきた。

合繊メーカーの販売促進戦略

 合繊業界は1950年代、マーケッティングの発想を持たなかった。素材を使用してどの様な洋服、洋品を作るか、あるいは消費者は何を求めているかという調査は行われず、生産第一で在庫増に悩んだ時期もあった。 
 1960年代、消費者へのファッション情報が浸透してくると、これら合繊各社とアパレルそしてっ百貨店との協力関係が洋服の質と量にとって一層重要となった。
 合繊メーカーと百貨店との協力関係を見ると旭化成と百貨店とのケースがある。旭化成は1950年5月のゴールデンウイーク、全国百貨店でベンベルグ展示即売会を開催した、東京の伊勢丹、高島屋を皮切りにスタートした。この頃の販売活動は百貨店とのタイアップで新聞広告を使った。ベンベルグは絹のような光沢ですべりがよく洋服の裏地では圧倒的なシェアーを持っている。

                                   島田 茂

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