八王子駅南口の駅前開発

 私の居住する八王子駅の南口は、長い間首都整備公団の広大な空き地となっており、この度やっとJR八王子駅と共に立派に整備され、この11月末にオープンしました。駅からのコンコースも天井の照明は間接照明の柔らかなものとなり、2階よりは直ぐにJR南口ビルとなり、そこにはビッグカメラが1Fより5Fまでを使用した店をオープンさせました。また、このビルの1FにはJRの子会社が運営する児童保育施設も入っています。
この駅前には広い樹木の植えられた公園状の広場もあり、隣接した広いバスターミナルには布製のルーフが全面に張られており、雨の日でも濡れずに済みます。併せてタクシー広場も整然としたものになりました。
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 しかし、何と言っても注目すべきは駅前右手に聳えるサザンスカイタワーです。この建物は41階まであり、6階より上は分譲マンションであり、住友不動産が経営を担っています。
この中の1Fから5Fは八王子市の市民ホールがあり、オリンパスホールの名で2000名を超える座席を有する多目的ホールです。このホールは今年5月から利用が始まりますが、多分、音響設計にも優れ、これから色々な演劇や音楽会が楽しめそうで期待しています。
また、この建物の中にはスーパーのアルプスが2Fにあり、その他にドラッグストアや、1Fには多摩市信用金庫やカフェ、本屋、八百屋、医療施設等も用意され、3Fにはレストラン階として何軒ものお店が有り、美容室、歯科クリニックなどが入っています。
1月になってもその駅のコンコースより多数の人の流れが南口に向かい、久々に活気溢れる街を体験してきました。

                                                茂木 記
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日本橋界隈の商業充実

 昨今、日本橋地区は商業集積として地盤沈下の傾向と思えたが、このところ新しい施設が増え、以前より格段に賑やかさが感ぜられるようになって来ている。
ここを訪れた日が12月の下旬の土曜日とあって、昼過ぎの人出は多く、歩道を行く人々も買い物の品を下げている人達が多い。歩道に沿った花壇にはパンジーの色々の花色が美しい。
 三越本店の車寄せには外車や国産高級車が駐車場へ入る待ち車が並んでおり、多くの案内員が整理をしている姿が目に入る。日本橋から北に歩いて見ると、三越への家族連れの多いのが目に付く。
三越反対側の歩道の人通りが賑やかである。山本海苔店や古い老舗の昔ながらの専門店が続く。その中に奈良県の物産館である「奈良まほろば館」、「新潟物産館」「島根物産館」が極めて近くにある。これら各館は地元の特産物を中心に販売をしており、併せて観光案内所としての機能も十分に発揮している。まほろば館では小規模な講義室が2階にあり、吉野の桜の歴史の講義を聴いて、私と友人でこの春の満開の桜を訪ねたものであった。
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同じ側を歩いてゆくと、「コレド室町」がこの10月28日に新しく開店して入店客が多い。この地名が室町となっているが、室町と日本橋に接する地で、実際には日本橋の一角と言って良い立地である。
ここに入って見ると、一階の入り口近くに異常に人が停滞している。何であろうかと良く見ると「にんべん本店」の「だし場」のカウンターで、有料で「だし汁」を試飲させている所である。
先日、テレビで放映されていたので、私も並んでみた。各種の「だし汁」が100円から350円位まであり、私はカツブシのだし汁を試してみた。しかし、それはそれ程感動するほどのものではなかった。ただし最近私は自分の味覚が減退しているのではないかと感ずることも多く、老化現象が進んでいるのかとも考えている。
その建物の中には地下の書店から4階までが殆どレストラン階である。その照明は全部ダウンライトのみで、非常に落ち着いた雰囲気を醸し出しており、大人の雰囲気である。
エスカレーターの近くにある横に5~6メートルの黒い木のベンチは、良く見ると直径60センチもある古民家の梁であり、囲炉裏の煙で長年いぶされて黒光りがしており、カンナの無い時代に削られたちょうなの痕がはっきりと残っている。このベンチが各階にあり、あたかも高山の街中の雰囲気を保っていた。
この中で一番人気の店は「ビストロ石川亭」であり、多くの客が店先に並んで待っていた。
その建物の隣は千疋屋の本店が工事中であり、そのまた隣は「YOITO」という野村ビルの商業施設でBIから4階がレストラン街であり、5~7階が大人のアミューズメントと各種のホールとなっている。
コレド室町とコレド日本橋、更には日本橋三井タワーが三井不動産によって再開発されて日本橋地区の充実に寄与してきているのが分かった。

吉祥寺伊勢丹後のコピス

 この10月15日に春に閉店した伊勢丹吉祥寺店跡に、新しく「コピス」が開店しました。どの様な店が展開されているか、10月22日に早速見てきました。 この建物は地上8階、地下1階のビルですが、A館とB館に分かれていますが2階から上は渡り廊下で繋がっています。
地下1階はAB館が一体となっており、食品とレストランで構成され、食品の4割の広さは三浦屋が占めており、他には青果の武蔵野食品や水産物の大戸水産、自然食品の店、他に伝統の器、また洋菓子の店がありました。
1階はファッションとグッズの店があり、マックス・コーのメージの高い店が入っていますが、今元気のある世界のファストファッションのブランドは見当たりませんでした。ノーリーズが広い面積を占めています。他に若い女性向きと思えるビュウティ&ユースやB館にはPLSTなどがあります。その他には洋品店が出店しています。
2階は全部ファッションと洋品の売り場で、3階にはキッズ洋品を集積したユニークな売り場になっています。それらは一つの売り場として大変良く纏められてあります。同じ階にはコムサの母親向けの衣料がありました。
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4階ではICIスポーツが、ブランド毎に構築した実に広い売り場があり、これには驚きました。
山用品とスポーツウエアが幅広く、素人向きから本格的に山をやる人の用具まで、これほどの充実した店は今までにお目にかかったことが無いという程の店構えでした。
5階はインテリア用品が中心であり、6階にはキャラパークというキャラクターグッズを集積したフロアがあり、金曜日の午後4時頃でしたが、高校生の女子学生がたくさん居り、オープンして1週間後ということもあり賑わっていました。
また、同じく7・8階にはジュンク堂の大変広い書籍売り場があり、7階には他に吉祥寺アートミユージーアムがあり、8階は吉祥寺カルチャーセンターもありました。
 全館的に見てバランスの良い配置であり、また特化された売り場も多く、今までの百貨店に比べてパンチがある印象でした。
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少し残念なことには駅より来るとコスピの建物の表示があまり目立たないことです。更に、今、吉祥寺の駅は駅舎が工事中であり、仮設の囲いがあり、駅構内の柱も改装中であり、町全体が新しく変わったという印象に欠けることです。
旧い「ロンロン」が「アトレ」に9月19日に改装され、イメージを高めていることを考えても、その点で損をしているという印象です。
街中で一番目立ったのは、肉のサトウの店舗に60人もの人が並び、メンチカツを買う姿でした。
駅舎の工事が済めば吉祥寺の商業集積は多くの人々を吸引する力を発揮することでしょう。


茂木 記

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第九回 葵流通会総会・懇親会 ー 10月14日木曜日

10月14日午後6時よりアルカディア市ヶ谷で来賓5名卒業生55名学生131大学教職員15名合計206名を集め盛大に開催されました。
 総会は常任幹事の吉田寛氏(昭和56年卒三越伊勢丹)の総合司会で開会され、初めに昨年葵流通会会長に就任した新見邦由氏(昭和45年卒小田急百貨店)の開会の挨拶がありました。
続いて、幹事長の右澤信一氏より昨年の役員交代と葵流通会としての就職支援の活動報告・方針があり、つづいて記念講演「2010年流通事情・小田急百貨店編」と題し小田急百貨店専務取締役・で葵流通会会長の新見邦由氏からお話を伺いました。
百貨店の現状、将来の百貨店のあるべき姿、大阪地区の百貨店の厳しい競争そして流通業界の未来等、興味深い内容でこれから社会にでる学生にとって示唆に富んだ内容で真剣に聞いていたのが印象的でした。
 続いて恒例になりました「ファッション講座」の成績優秀者8名が岡本美彦前会長(昭和23年卒高島屋OB)を始めとする8名のプレゼンターによって表彰されました。
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                      岡本美彦氏
休憩の後、懇親会が始まり最初に久木田重和学長より挨拶があり「出席の先輩から仕事の事を良く聞くように」激励のことばがありました。
続いて葵友会会長加治章氏、父母の会会長萩原茂氏、葵友会協力委員長岡村敏彦氏、安川副学長、の来賓の紹介がありました。常任幹事北川正巳氏(昭和53年卒LVMHウォッチ・ジェリー・ジャパン)の乾杯の後、いよいよ懇談が始まりました。
 今年は昨年に比べ学生が約50名も増え会場は熱気に包まれました、どの学生も名刺を持ち先輩の周りにはメモを片手に真剣な表情で話を聞いていました。
中には用意された食事も食べずに次から次へと先輩をまわつていました。
閉会の時間が迫り常任幹事野口悦功氏(昭和49年卒高島屋)の全員校歌斉唱があり、 閉会の挨拶は常任幹事馬場章夫氏(昭和60年卒愛国製茶)が行い「学生諸君の健闘を祈念して」三本締めで会を終了しました。

葵流通会では11月よりキャリァセンターに協力して「相談会」を開催する予定です。
申込は「キャリァセンター」までお願いいたします。

                              葵流通会 幹事長 右澤信一

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オープンキャンパス第4回

 大学において今年4回目で最終回となるオープンキャンパスがあり、どの様な様子か出掛けて見て来ました。9月5日はすでに高校の授業は始まっている週でもあり、夏休み中に実施された時に比べて高校生やその父兄の方は、大幅に減っているとの支援学生の言葉でした。
 学内の説明は10時より始まっていましたが、私がキャンパスに着いた時には駅から複数の高校生や、一人の人母親と一緒の男子高校生等が歩いてきて、校門よりの現役学生の案内が途中に3,4名おり6号館の受付も学生達でした。受付で記念品のバックやスケジュール案内、それに付いている500円の生協の食堂の試食券、冷えたお茶のボトルなどが配られます。

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 そこで私は11:00よりの経営学部の案内を聞きに仮設教室に行きました。
授業案内は経営学部の全般に亘る説明がなされましたが、最初に本学の由来と建学の目標としての「新一層」の思想の説明があった事は大変良かったと思われました。
最初は30人程の聴衆でしたが、途中から段々多くなり7,80が最後まで説明に聞き入っていました。数年前にも同じ説明会を聞きましたが、その時に比べるとずつと真剣に聞き入っている人が多かった様です。やはり大学に入ったとしても就職が確実という保証が無い昨今の情勢が緊張感を与えている様子です。

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その説明会を終えてから、6号館7階での個別相談の大会議室に向かいました。そこでは沢山のテーブルで色々な相談がなされていましたが、入試に対する相談が一番多く見られました。

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次に、昼の昼食時間となっているので、生協の食堂に行って見たところ、120名くらいの高校生が食事をしています。料理は5・6種類の中から選べるようになっています。
全体的に見て今回は父兄同伴が割合と少ない気がしました。そして多くの場合は母親連れが多いように見受けられます。
 キャンパス内の雰囲気は校門より父母の会のフラワーポットが置かれ、そこには綺麗なインパチェンスが咲き、暑い最中でも欅や榎、銀杏の木陰があり、涼しい印象がしました。
また、5号館はすでに取り壊されており、白い防壁で覆われていますが、新しい校舎の着工が間もなく始まる様子が見え、キャンパスが更に良くなる姿に期待を持たせるものでした。


茂木 記
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オーストラリア 驚きのショッピングカート置き場

 オーストラリアのシドニーヘ用事があり10日程出掛けてきました。
用事があるまで数日余裕が有ったので、市内のスーパーやショッピングモールを見て回りました。日本のモール程のスケールは有りませんが駅より近くにモールは有り、スーパーストアは住宅地の郊外にありました。
 町の中を散歩していますと、静かな公園にゆくと、その公園の道路に面したところにショッピングカートが1台場違いの芝生の上に放置してあります。また、街中の駅の近くにも同じように4・5台のカートが、歩行者には邪魔にならないところに置かれています。しかし、そこからショッピングモールまでは200mもあるのです。また、別の歩道の上にも1台堂々と放置してあるところを写真に撮りました。

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 これは一体どうした事かと聞いてみますと、買い物をしたカートをそのまま自動車に乗せて家に持ち帰る人が多くいて、それを使用後は路上の見えやすい所に出して置くのだそうです。 
そんな事では後々カートを集めるのが大変であろうと思っていたところ、土曜日の午前10時頃にこれらを集めている農業トラクターの様な車両が運行しているのに気付きました。
早速写真に収めましたがこのカートの収集に掛かる経費はどうなっているのだろうと思い、また、スーパーやモール別に分類するのも大変そうだと考えました。

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「所変われば品変わる」という諺がありますが、正にその感がしました。物価は日本とさほど変わらず、肉は日本の半値くらいとかですき焼きで沢山肉を食べました。
街中でマックのハンバーグを食べましたが、「マイティ アンガス」というのが8ドルで(約640円)、日本のマックよりずつと大きく、その肉は食べ応えがあり、1個で昼食としては十分満足の行くものでした。
 9日間の市内滞在でしたが冬のシドニーは2日間のみ晴れて、あとは時折シャワーの来る天候で、最低気温10度、最高気温16度くらいで日本の11月末から12月初旬というところで、オーストラリアの東海岸は地中海性気候であるという、昔の地理の勉強を思い出しました。


                                                  茂木  記
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もなかのお店 「小ざさ」

 吉祥寺の近くにいる友人が、時折「小ざさ」のもなかをお土産で持ってきてくれることがあります。大変有名なお店のものである事は聞いていましたが、最中は甘みのバランスがよく、とりわけ少し小ぶりなのが中高年向きと思えて美味しく賞味していました。
私の田舎の近く、足利市には有名な「古印最中」があります。それは四角で厚みがあり大きなもので子供の時には最高のお土産でした。その包装紙は書家の相田みつお氏のものです。
 吉祥寺の「小ざさ」が大変なお店であることが、その効率の素晴らしさがダイヤモンド社の「ちっちゃいけど世界一誇りにしたい会社」、法政大学教授坂本光司氏により書かれています。
お店のある場所は吉祥寺の北口に近いハモニカ横丁の一角にあり、このブログの2007年7月20日「戦後よりの小売業の縮図が見える街―吉祥寺」にも触れています。
このお店の売上高は年間3億円とあり、そのお店の広さは1坪ばかりの小さなお店なのです。
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そこで売られているものは最中と羊羹だけです。平日においてもいつも6・7人の客が並んでいます。この店はテレビや雑誌の取材に応えることはありません。
ここで働く人は30人程ですが、その内の3人は障害のある方を正社員として働いてもらっているそうです。1日に150本しか売られない羊羹(生産の限界で、販売も一人5本まで)と最中は、なんと今も羊羹580円、最中54円です。
この羊羹を買うには朝4時頃から並んで、整理券をもらいやっと買えるそうです。
是非一度ご覧になってください。


                                茂木  記
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銀座昨今

 銀座を歩いてみると京橋から銀座4丁目にかけて歩道の植え込みのパンジーが大変美しく、春の装いを醸し出している。丁度それに合わせたかのように和光の角の大きなショウウィンドーが花のテーマで飾られている。ここのウインドウはいつも素晴らしい感性の内容を見せてくれる。

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4丁目の日産のショウルームの前に立つと鳩居堂の隣にユニクロの大看板が目に入る。鳩居堂といえば銀座でも地価の最高のところである。そのユニクロは昨秋より隣のビルにも店を広げて間口が最大の旗艦店になっている。そこより7丁目方面に南下するとメルサに先、フェラガモのビルの反対側の交詢社通り角に、昨年12月に開店したアーバンクロンビー&フィツチの店が目に付いた。
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4丁目からヤマハ楽器へと松坂屋の側を行くと、スペインのザラの店が沢山の若者を集めているのが目につく。
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更に行くとスエーデンのH & Mがシーズン最後のバーゲン中で更に込んでいるのが目に付いた。これらの店はいわゆるファストファッションの店で若い人の支持を得ている店ばかりである。
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各ブティックの専門店はあまり客の入りは良さそうではないが、ドアマンには20歳代のいわゆるイケ面の男性を配しており、中年女性の気を惹くことを意識している様子である。

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 ヤマハ楽器の建物が新しく高層になつていたが、入り口の近くには重厚な印象のピアノが置かれてあり、今までのような軽音楽楽器が並んでいる楽しさが失われており、心安く入る気分にはなれなかった。ヤマハホールも併設されているビルは最新の雰囲気はあるが、親しみが湧かないのは残念である。
 銀座の通りを歩いていると、以前の雰囲気とは変わってきている気がした。もちろん洗練された中年や年配の人も居るが見物の団体客が多いのが目に付く。
買易い価格帯の店には客は沢山入っているものの、高級ブティックはあまり多くの客は立ち寄っていないと思える。
しかし、暖かくなるに連れて人出も増えてくるものと思え、景気の緩やかな上昇が期待できるところまで来ている時期からして、更なる消費の拡大を期待したい。


                                      茂木   記
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家電量販店激戦地、池袋の昨今

 暮の28日の午後1時頃に池袋駅の東口を出て、駅前に旧三越百貨店を買い取って最近オープンしたヤマダ電機の店を見に行っていきました。
駅前に立つと左手にはビッグカメラのビルが見え、ヤマダ電機の以前よりの店も目に入りますが、車道を越えた目の前にはヤマダ電機の最大と思える店がオープンしていました。この地区には他にサクラヤが有りますがそれは目には入りませんでした。歩道には多くの若者を中心にした人々が流れており、信号が変わるとドッとこの店の正面入り口から入って行きます。
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 その正面から入るとこの1階部分はデジタルテレビがフロアー全体に広がっています。
思いがけない事には正面から入った直のところには、19型や22、26型の物が沢山展示されているのです。そこには若い人達が何人も足を止めて見ています。そのサイズは個人用で多分既に2台目の需要が見えてきているのでしょう。
32インチ以上の展示スペースでは10万円を大きく割り込んだ価格も見られ、年配のご夫婦が「こんなに安くなっているのなら買おうか」との会話が聞こえます。各サイズ共に相談している夫妻の姿やテーブルで契約書を書いている客も多く、特に録画機能の付いた機種に注目が集まっているようにも見えました。
2階に上がってみるとデジタルカメラや関連器具が売られていますが、このフロアーでは客数は多いとは言えない状態でした。3階に上がると若い人たちが沢山おり、パソコンの品定めをしている様子です。この階が二番目に活気のある売り場と思いました。
秋葉原の電気街もよく出掛けますが、池袋の客層も多くこの量販店の集積は更に多くの客を引きつける要素となりそうです。新宿地区への影響が出そうな気がしました。


                茂木 記
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広告の挿入が始まりました

 このブログのウエブリブログでは、編集者がオプションを使い広告を排除出来る機能が付いておりました。
しかしこの11月からは、この機能は外されて全部のブログに広告が入る様になりました。
現在掲出している30メガバイトの無料ブログサイトは無料のものであり、有料の100メガのものを契約すればそれを
避ける方法はありますが、財政的にはゼロのこの会では無理であると判断してこれを継続するしかありません。多少気にはなりますが、無料である利点を考えて皆さんのご了解を得たいものと思います。
読者の皆さんの中でご意見のある方は連絡してください。

メールアドレス   mogim@mtf.biglobe.ne.jp 茂木 稔

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葵流通会 幹事引継ぎ会と感謝会

 10月21日(金)の流通会総会において、設立後7年を経て役員の変更がありました。
これに伴い岡本会長が退任して新見新会長に引継ぎがなされ、島田常任幹事から右澤新会長にバトンタッチされ、同時に常任幹事の豊生・川島・白土・茂木・石原・の方々が退任し、新しい今までより若いメンバーに入れ替わりました。
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 これまでの会長他の方々のご苦労に感謝する目的で、11月20日(金)に横浜市の港の大桟橋に近いスカンディナビア・レストラン「スカンディア」にて食事会が催され、上記の方々の他に、開設時より一諸に最近まで活動した森谷・樫原のお二人が参加し、更に新幹事長の右澤氏が同席しました。残念なことに新見新会長は仕事の都合で参加されませんでした。
このレストランの室内はデンマークの大きな木彫のキリスト教の教義の絵が架けられ、落着いた雰囲気の店で、この選択と手配は石原氏のによるものでした。コースランチを楽しんだ後は紅葉した銀杏の大通りを歩き、大桟橋に停泊している大型船を眺めてから山下公園の近くで解散となりました。
 長い年月に亘りチームワークの良い活動が出来た事と共に、外部から大学と学生への支援が出来た事に感謝と満足感を覚えながら帰路へつきました。


                                         茂木 記
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景気がよく透けて見える車内広告

私が昭和37年(1962)に仕事に就いてより、今日までに5回の大きな景気後退に遭遇した。
第1回は東京オリンピックが昭和39年にあり、その後景気が後退して昭和40年(1965)には山一證券が日銀特融の救援の手が差し伸ばされることになり不景気が数年間続いた。
第2回目は昭和55年3月(1991)から昭和58(1993)の第二次石油危機が引き金になった景気後退である。
第3回は平成3年(1991年)3月から平成5年10月(1993)にかけて起きたバブル景気で地価上昇により見かけの資産が膨張して、地上げや大型ビルの建造やリゾート開発が全国でおき、その膨れた風船がはじけたバブル崩壊であり、北海道拓殖銀行や証券各社、日本不動産銀行などもの整理等々、すべての企業が大波を受けて一気に縮小していき、その後10年近く経済が停滞して「失われた10年」と言われるようになった。
第4回の次の波は平成9年(1997)6月から平成11年(1999)1月までの消費税率引き上げのショックである。
やっとそこから立ち直りが見えて上向きになってきた時に、またアメリカを震源とするリーマンショックの大きな津波が全世界を包み込んだ。これが第5回目であり、平成20年9月よりの急激な景気の後退は100年に一度とも表現されている。
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               地下鉄 銀座線 9月中旬










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                 丸の内線  9月中旬

 この様な大型の不景気の時に見える面白い現象が現れる。それは電車内の広告が減り、空きのスペースが目立つようになることである。このような不景気の時以外は空きスペースは殆ど無いのが普通である。
特に注目すべきは都内の地下鉄の車内広告であり、その注目度が高いことにより、なかなかに掲出スペースを確保するのは通常は困難である。また、その掲出料金も極めて高い。特に銀座線や丸の内線はそれが顕著である。
ところが、この8月や9月にこの空きスペースが出る現象が出現した。10月半ばにおいてもまだ10%くらいのスペースが見える。もちろん、広告の効果を考えれば消費支出が多い年末になればこれは解消されるものと思われる。
ここに掲げる車内広告の車内壁面の掲出ポスターは、9月下旬に丸の内線と銀座線に平日の午後に乗った折に撮った画像である。最近は10月の23日にこれらの線に乗ったが、まだ全部のスペースは埋まっていなかった。
 景気の良い時には高級マンションの広告やホテルの案内、高級バイキング料理のパーティー案内などが多かったが、バブル崩壊後は一時はサラ金の広告が目立ち、最近は債務整理の法律事務所の案内に変わっている。
車内の広告の内容を分類して、数年をかけて定点観測でこの地下鉄の車内広告と吊ポスターを業種別・内容別にに分類整理してみたら、面白い論文にまとめられそうではあるが、さて、これから私が取り掛かるには少し時間的余裕が少ない気がする。
 電車や地下鉄に乗った折に、これらに目を向けて観察すると面白く有意義な時間となるのではないだろうか。皆さんいかがですか。

                茂木 記
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「ららぽーと新三郷」9月17日オープン

 この9月中旬の武蔵野線新三郷駅前にオープンした「ららぽーと」を見学に出かけてみました。連休の10月12日(祝)とあって、JRの新三郷駅よりブリッジで直接「ららぽーと」へと繋がり、車でも電車でも良い立地です。
その施設は178店舗、駐車場3262台分、自転車駐輪場1235台と周りの三郷団地を意識した施設も考えられています。丁度11時頃でしたが、電車から降りた客は100名程で、オープンから3週以上経った頃としてはまずまずかなという状況です。
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駅前のブリッジの上から見ると、「ららぽーと」に接してイトーヨーカ堂、大きな道路を隔ててイケアの4階建てくらいの大きなビル、コストコがららぽーとから一番奥に見えます。
 先ずはブリッジから続く2階を行くと、飲食の店の次に石丸電気の大きなフロアがあり、その隣にはH&Mのファッション店があり、オープンバーゲンが併せて行われており、男性用の衣料品かなり売れているのが目に付きました。客層は若いカップルが多く纏め買いも多く見られます。
本館のビルへ入ると二つのメイン通路、南モール、北モールがあり、店舗の内容は今までのモールとさほど変わらず、インテリア関連の店の少ないのが目立ちます。
歩いてゆくとベビーカーが20台以上並んでいる一角があり、まさに若い子連れの人が多い1番人気と言えそうな「トーマスタウン」とあり、機関車トーマスをテーマにした店でした。
更に先の一番奥辺りには、ユニクロとアカチャンホンポの広い店が隣接しており、その間からコストコの別の建物にブリッジが架けられており、雨を気にせずコストコへ行けるようになっています。



画像そのコストコを覗いてみると、新規加入者の受付カウンターに30人くらいの人々が並んでおり、これは以前私が出かけて見てきた多摩境の倉庫店の日曜日の風景と殆ど同じでした。
 そこより今度は1階に降りて、ロフトと無印良品のショップを通り、駅への方角へ進むと、ニトリの今までの店の中では最大の面積と思える店が広がっています。このフロアにはかなりの幅広い年齢層の人たちが入っており、今元気な店の一つとして言われるように、商品の価格を見ても大変安いものが多いようです。
そして駅に近い一角に新宿の京王百貨店のかなりスペースのある店があります。百貨店のイメージを保ちながら軽衣料や服飾雑貨などが陳列されていますが、一角には食料品があり、そこの有名店のケーキのショップには若い女性が並んでいました。
 時間が足らずに見損なったものがあったのですが、それは吉元興行の「遊べる水族館」というものであり、後でインターネットで調べてみると、4種類の水槽があり熱帯魚からメダカまでおり、アメリカザリガニ釣りもあると書かれています。入場料は1800円とありました。
 この施設を一巡した一般的な印象は、割合とコンパクトな回遊しやすいモールであると思えますが、武蔵野線の二駅隣には更に大規模な越谷レイクタウンのモールがあるのです。電車は日中は10分間隔であり、乗車して10分くらい、車でも10kmの距離くらいしか離れておらず、この二つのモールがどの様に差別化出来るかは難しく、競合が懸念されます。
今後、この様な大型モールの出店は減少すると言われていますが、その今後を見極めてみたいものと考えています。
                                       茂木 記
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葵友会100周年記念のキャンパスに設置された時計塔

この10月20日(火)に葵友会から大学に葵友会100周年記念のモニュメントとして時計塔が贈呈され、その引渡しがなされました。葵友会80周年記念の折の大学創立の石碑近くに設置され、アナログの文字盤が3面に付けられた電波時計であり、在学生達に大いに喜ばれる施設であると思えます。

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少し残念なことは、以前は1号館に時計が設置されており、中央線に乗っていても見えたのですが、今度のそれは見えないようです。キャンパスの植樹が成長して葉が繁ってきたのもその理由と考えられます。
先日の葵流通会で加治葵友会会長から報告があつたことでもあり、昨日出掛けてこの画像を撮り皆さんにも知ってもらいたいものと掲出しました。
                                                  茂木 記

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第8回葵流通会総会・懇親会

 10月15日(木)、恒例の葵流通会総会・懇親会がアルカディア市ヶ谷、富士の間で開催された。今回の進行は右澤信一氏(昭43卒 株元さいか屋)、担当して岡本美彦会長の挨拶で始まり、続いてこの総会において、島田茂幹事長より会長及び幹事の交代の提案があり、新しい会長に新見邦由氏(昭45年卒 株小田急百貨店常務)が就任することが決定された。そして岡本氏が名誉会長となり、島田茂氏が顧問として引き続き関与する事となった。
これにより、今までの常任幹事の豊生益太郎氏(昭31年)、川島康男氏(昭32年)、白土重蔵氏(昭35年)、茂木稔氏(昭37年)、石原紀彦氏(昭39年)が退任して、若い人達(昭41年以降)の幹事メンバーの編成へと若返りがなされた。
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                     新見邦由 新会長と司会の吉田氏と竹ヶ原さん
 記念講演は小木紀親教授(平成4年卒 東京経済大学経営学部教授)の「現代マネイジメントの新たな潮流~ソーシアルマーケッティングへの招待~」の話しがあった。
続いての懇親会の司会は吉田寛氏(昭56年)と竹ヶ原望美さん(平20年)の二人で進められた。久木田学長の挨拶に続いて加治章葵友会会長の話となり、白土重蔵氏(昭35元国分)乾杯の音頭で懇親パーティーへと移行した。
今年の特徴は学生の皆さんの積極的なOB達への話しかけが見られ、就職が厳しい時代を反映してか熱心な姿が見られた。その間に「職業選択とキャリア形成」講座の成績優秀者の8人に表彰状と記念品が手渡された。
 閉会を前にしてグリークラブOB達による校歌のリードで新旧校歌の斉唱があり、閉会の挨拶は新しい会長の新見会長の言葉で充実した会が終了した。

茂木 記
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丸の内ブリックスクエア オープン

 9月3日(木)一般にオープンとなった丸の内の三菱1号館(明治27年1894年竣工の初のオフィスビル)を抱え込むような形で、丸の内パークビルが完成開館した。この赤レンガ造りの建物は、当時の内装まで忠実に復元されたものであると記されてあり、今は三菱1号館美術館と素敵な往時のビルの室内雰囲気をそのままに、カフェがオープンしている。
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ブリックスクエアそのものは、新旧2棟の建物の間にあるオアシスのような庭園を挟んで、両建物の地階より3階までの各階にショップやレストランから構成されている。
今回のこのスクエアのオープンは派手な宣伝はなかったが、行って見たところ実に良く出来たスクエアであり、規模から比べればはるかに東京ミッドタウンなどより狭いものの、その完成度はミッドタウンを超えていると私には思えた。
この丸の内の三菱ビジネス街は、各ビルには地階などにレストラン街や小さなショップはあるが、それらはそのビルで働く人たちを対象としているのではないかと考えられるもので、スケールや立地、内容ではこの街を訪れる人の利用には不便なものが多かったと言える。しかも、今回のそれは、丸ビルのショッピングやレストランフロアーなどとは異なり、無機質なものではなく、芝の小庭園にはバラの植え込みもあり大樹も繁り、実に良い人工環境を造り込んであり、素晴らしい完成度である。
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 また、その中のレストランも見て回ってみたが、一般の人には少し足が引けたミッドタウン程のレベルではなく、昼食が1000円以内で食べられる中華やイタリア風ランチもあり、1500円以内でかなり立派な昼食が気分の良い雰囲気の中で食べられる。
このスクエアの人気はキャリアレディや若いビジネスマンのクチコミで急速に広がってゆくであろうと推測した。
流通会の方々には是非機会をみて訪れることを勧めしたい。

                                                         茂木 記
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平成21年 葵流通会総会・懇親会のご案内

日時: 10月15日(木)  
会場: 市ヶ谷駅前 アルカディア市ヶ谷 (私学会館)
時間: 18:00~21:00 受付 17:30より
会費: 3,000円 (当日受付にて受領) 新卒者1,000円
スケジュール
  18:00 総会開会
  18:10~18:50 講演会 経営学部教授 小木紀規氏(平成4年卒)
         テーマ 世界の潮流「ソシアルマーケッテング」
  19:00~21:00 懇親会
         ご挨拶 学長・理事長・葵友会会長・父母の会会長
         懇親・立食パーティー
         卒業生・学生・教職員交歓
         キャリア形成講座成績優良者10名表彰
         グリークラブ出演 校歌斉唱
  21:00 閉会挨拶 閉式

参加希望の卒業生の方は下記に申し込みください
東京経済大学 校友センター TEL 042-328-8033

この会は2002年に設立しました、今年が第8回になります、卒業生間の情報交換ではきっとビジネスに役立つことでしょう、そして母校学生への就職相談支援を目的に毎年新しいメンバーを交えて楽しいひと時となっています葵友会100周年をともに祝いイベントを楽しみましょう。
卒業生の方々の積極的な参加をお待ちしております。また、同期の方々や同企業内の人々と連絡を取り合い、特に近年卒業された若い方々の来会を期待しております。
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展示会「大倉喜八郎と大倉集古館」

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 葵友会創立100周年記念号の東京経済誌が松田周三編集長のもと編集に携わった方々により、思いもかけない程の立派なものになり送られてきました。
隅々まで読んでみて初めて知ったことも多く、会員の皆さんも同じ思いをされた方も多いと思います。
加えて、赤坂のホテルオークラ敷地内の大倉集古館では7月4日から28日の間、「大倉喜八郎と大倉集古館・・・事業と美術蒐集の軌跡」のタイトルのもとに、それらを資料が特別展示されました。
この集古館を以前より何度か訪ねておりますが、今回の展示中は葵友会関係者や、在学生の父兄の方々が多かったとは考えられますが、私が出掛けた平日の午後には、20名くらいの見学者が1・2階におり、今まで訪ねた際の10名を下回る入館者に比べてはるかに多いものでした。


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 大倉翁の着物姿の大きな銅像が館外にありますが、館内に展示されていた高村光雲・光太郎氏親子合作による、大倉鶴彦翁夫妻像は決して大きなものではありませんが、お二人の人柄を表情に見ることが出来る傑作の木彫と思われました。
翁の趣味の狂歌の数々もみられますが、事業ばかりではなくそれらの才も多岐であり、その友人においては3歳年下の渋沢榮一氏をはじめ、近代歴史上の有名な方々や、文人まで広い方まで及んでいるのには驚きでした。
 私が最近読んだ文春文庫650「歴史のかげにグルメあり」(黒岩比佐子著 平成8年8月初版)の中に大倉翁が渋沢榮一氏と設立した帝国ホテルの話が詳しく書かれており、機会があればぜひ一読をお薦めしたい本です。
 この10月23日(金)には100周年記念のパーティーがホテルオークラにて開催されますので、会員の皆さんにても奮って参加されることを期待しております。

                                                  茂木 記

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10月15日 葵流通会総会・懇親会の打ち合わせ

 5月22日(金)に大手町葵友会談話室において上記の件について常任幹事会が開催されました。
そして、総会の際に行われる講演会の講師の人選案が検討され、その第一候補の方への依頼と講演内容の確認は島田幹事長に一任されました。
また、今後の会の運営において、新役員と新幹事の件についても話し合いがなされ、その方向付けの確認がありました。
 当日は、岡本会長も出席され、豊生、川島、白土、島田、茂木、石原、右澤、奈流芳、野口、吉田、奥平、鳥谷、馬場の幹事各氏と、大学よりは中経営学部長、堺野キャリアセンター長、坂西校友センター長、菊池(キャリアーセンター)野口、水野 の方々が出席され18:30から20時までの時間を検討事項と連絡会議が行なわれました。

                                                      茂木 記
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越谷レイクタウン・ショッピングモール開店の半年後

 昨年10月2日に、埼玉県越谷市に最大級の商業施設「越谷レイクタウン」のモールがオープンしたので、10月21日にその状況を見学に出掛けましたが、たまたまデジカメが電池切れを起こし画像を撮ることが出来ず、残念ながらこのHPに載せることが出来ませんでした。
そこで、半年後のその様子を見に再度4月18日の土曜日に武蔵野線で8年3月15日に駅が出来た越谷レイクタウン駅に下車しました。
そのモールの立地は駅前にあり、駅の周りにはまだ空き地も多く、クレーンが目立ちダンプカーの往来も目立ちます。駅近くにはマンションや住宅の工事も進んでおり、少しはなれた所では流通倉庫が集積しているのも見られます。レイクタウンの名称は駅より北に200メートル近くにある人工の大きな池をレイク(湖)と見立てたものと考えられます。

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 このモールは約800億円が投ぜられた国内でも最大級の商業施設であり、その後の急激な景気の後退で、イオングループではこの様な施設は今後出店しないと表明しています。
そして3階建てのビルは「風」と「森」の二つのモールで構成されておりますが、実際はブリッジで繋がっており、イオン・ジャスコ・マルエツの店の他に565の専門店と9,000人の従業員、年商は約750億園を見込んでいると言われます。
 昨年10月に見学に訪れた時はオープン後間近であったこともあり、平日であるにも拘らず電車で来る客も、車での家族連れも多く、特に中年の女性が友人たちと見に来ていると言う感を強く感じました。
ところが今回は土曜日であったこともあり、若い人達が大変多く、一番多い客層は高校生クラスが多く、次いで20代から30代の主婦とそのご主人と子供連れ、50代・60代は前回に比べて大きく比率を下げていました。
中を歩いてみると客の立ち寄っているのは服飾雑貨・軽衣料であり、インテリアや高級衣料の店ではフロアに客はまばらであり、昼食時間であるにも拘らずファストフード店以外のレストランは店の前で待っている客がいる店の方が少ないのが目立ちました。
この違いはもちろん季節による需要品の違いが大きいものと考えられますが、それを考えに入れても高額商品が売れていない現状が見える気がしました。やはり昨冬からの景気後退が如実に出ている感は否めません。
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 珍しい売り場としてはトヨタ自動車の全車種の販売店が1箇所に出店して1店舗として客にアピールしており、全国でも数箇所だけの店であるとのことでした。また、スポーツ関連の店も多く、モンベルのロッククライミングの人工の8mくらいの岸壁が通路の真ん中に位置し、指導員がロープでの登はんを教えています。これはアメリカのシアトルのモールでポーツオーソリティーの店が始めたものと以前読んだことがありました。これを見るのは私は初めてのことでした。
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 新聞によると大型の商業施設の計画は大きくダウンしており、今後この様なものが各地に出現する事は少なくそうです。今回のこのモールの成否はその点で大きく注目を浴びることは疑いの余地はありません。
今後もその動行を定期的に見て行きたいと考えています。

茂木 記
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マンスリーコラム 大倉喜八郎物語 第4回結婚と家族

現代では40前後の独身男性は珍しくないが130年まえの明治初期では大倉喜八郎は晩婚であった。
明治8年5月、満38歳で持田徳子と結婚した。商売一筋の生活のため遅れたといわれている。迎える花嫁徳子は花も蕾の18歳であった。
徳子は新潟県佐渡の出身で当時、東京・上野に住んでいた、彼女は美しいうえにそのころの婦人としては珍しく乗馬が巧みで、ときどき不忍池の周囲に馬を走らせた。喜八郎は、そのさっそうとした姿を目撃して、すっかり心惹かれ、彼女にプロポーズしたというわけである。
 結婚後二人は50年以上仲睦まじく家族とともに喜八郎を大いに支えた、しかし喜八郎は全く馬に乗れなかったので二人いっしょの際など徳子が乗馬するときは馬車に乗ってあとにしたがうばかりであった。
維新後の喜八郎は明治5年4月我が国ではじめて民間人海外渡航第1号となってアメリカ、ヨーロッパ諸国を回った、翌6年10月帰国し銀座2丁目に「大倉組商会」を設立して貿易業を開始、翌7年にはロンドンに支店を設置し今までの横浜外国人商館を通す輸出入から日本人による直貿易を実施した。
結婚後の明治9年日韓修好条約が結ばれ彼は船に商品を満載し韓国にわたりそれらを売りつくした、その後も専用船をもち韓国貿易の先駆者となった。
 子宝にも恵まれ長女・次女に続いて長男・喜七郎(1882年~1963年)が誕生した。
喜七郎は英国ケンブリッジ大に留学しその後伊藤博文首相の媒酌で一家を築き、大倉関連企業各社の役員と主に喜八郎の後任会長として帝国ホテル経営を継続した、1945年終戦と共にGHQの財閥解体命令に従いホテルを手放すこととなった。
バロン喜七郎の足跡は札幌の大倉山スキージャンプ台、昭和7年設立の英国アリソン氏設計の伊豆川奈の川奈ホテル・ゴルフコースがある。また、横山大観をはじめ幾多の文化人をカバーし文化芸術にも功績が残っている。本年3月に政界きっての囲碁の打ち手として知られる与謝野財務・金融大臣が受賞した第38回「大倉喜八郎賞」ももちろん喜七郎が日本棋院に寄贈したものである。
ホテルオークラは1963年開場した。喜七郎が赤坂葵町に自宅の敷地を使い、光悦・宗達の渋い様式を取り入れ外郭も内装も出来るだけ日本的に仕上げた。設立資金は財界の桜田会長をはじめ多くの出資者があり予定以上を集めることが出来た、当時は大倉財閥信頼の歴史が残されていたのであろう。青年期には留学し帰国に際し日本初であろう乗用車を輸入して日本人初の免許証を取得、運転していたようで川奈ホテル図書ルームに伊藤博文首相を乗せた写真が壁に掛けられていた。また、残された雑誌その他では大変ダンデイーであった様子がうかがわれる、「銀座一番館」には当時オーダーした洋服の型紙が保管されているようである。

喜八郎の嫡孫喜六郎(1910年~1989年)は1935年東京大学理学部を卒業、大倉財閥の後継者として大倉商事、東海パルプ、大倉事業、川奈ホテルの要職を歴任した。
祖父は彼が第一高等学校にいた19歳のときに亡くなった。祖父より聞いた多くの話が残されている。
「学校の勉強は大切だ。ただし学校の成績と勉強する事とは別だ。成績ばかり夢中になってはいけない」点取り虫になるな
「人間は頭が悪くなったらおしまいだ。頭が悪くならないように気をつけなさい。それから体を鍛えなさい。あまり暖かい部屋で厚着していると長生きしないよ。先にいって体がなまっちゃダメだよ」
「人間の本質というものは肩書きとか富とかに関係のないものだ。金などというものは天下の回りものだ。今日貧乏な人でも明日は金持ちになることだってあるし、明日金持ちでも明後日は貧乏になることだってある。」
「自分は世間のお陰でなんとかなった。だから世間の恩を忘れてはならない」
「日本人だけが人間じゃない。人間は世界中にたくさん住んでいる。将来は世界中の人間が繁栄する事が大切である」
東京・文京区にある護国寺には大倉喜八郎、徳子夫妻の墓は四代目喜彦氏(1939年~)によって守られている。
喜八郎は昭和3年4月22日・90年と7ケ月の生涯を赤坂葵町の自邸でとじたのである。

葵流通会SJ
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銀座と原宿の昨今

  昨秋以来暫く銀座と原宿のファッション街の様子を見る機会が無かったので、丁度都内の桜が咲き揃った4月3日に街を見てきました。銀座へは先ず日比谷で地下鉄を降りて、日比谷公園に立ち寄り人々のくつろいでいる姿と消防庁音楽隊の演奏を少し聞いていました。
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日比谷交差点からは、以前葵友会事務所の入っていた三菱パークビル、その前は日活ビルの跡地に昨秋日本に進出した、香港のペニンシュラホテルのベージュの外壁の高層ビルが目につきます。
歩いて銀座4丁目の交差点に向かうと、有楽町の交差点を過ぎるところから色々なデザインンの新しいビルが目に入ります、和光の日本橋通りの周りにも新しくなったビルには有名ブランドのロゴマークが付き、それらの専門店の幾つかは入り口にドアーマンが立っており、入店客を選別しており、気軽に中を覗いてみようという訳にはゆきません。
私が昭和48年にヨーロッパを訪れて専門店も見てきた程ではありませんが、スペシャリティーストアとしての威厳を印象付けている様子です。しかし、彼の地で見たようなタキシード姿の立派な紳士のドアマンにはお目に掛かれませんでした。暖かい日ではありましたが平日なので人出はあまり多くは無く、入店客が特に多い店には行き着きませんでした。
 その次に表参道へ出て原宿駅へと向いファッション街を見てみました。春休み期間中からかもしれませんが、歩道は銀座の倍以上の人出です。ラフォーレの前を通り竹下通りの方へ行くと、白い新しいビルに「H&M」のマークが目に付きました。このブランドはスエーデンのファッションメーカーで昨年9月に銀座に1号店を開き、11月に2号店を原宿に出店したのです。

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中に入ると地階がメンズであり、1~4階がレディーズです。そのターゲットは私の目では20歳から30歳代前半くらいであり、沢山の若者が来店して購入する方も単品ではなく数点ずつ買って行く様子で大変に賑わっています。今時これ程の入店客と購入者の多い店は見たことがありませんでした。
一部よく見た商品では、メンズのコットンジャケットが同素材の切り替えしのしゃれたデザインで1万円程であり、ニットの襟つきシャツが2千円台と買いやすい価格です。その縫製は確りとし裏の作りも手をかけたものでした。
不景気下でもこれ程に人気のある商品は価格と素材デザインが多くの人々に受け入れられているからでしょう。
今回一番注目したブランドと商品でした。


茂木 記
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大倉喜八郎物語  第3回 進一層

『 TKU(東京経済大学)ならではのチャレンジの精神』
学校創立(1900年、明治33年―喜八郎63歳)は欧米諸国との本格的経済戦争に向けた人材育成という、時代の要請に応えるものでした。そして、創立者大倉喜八郎は「進一層、すなわち進取の観念」を持った人材を育成しようとしました。「確かに知識は必要だが、だからといって知識だけを習得してもそれだけでは十分ではない。積極性と責任が必要だ」。創立者は、学生や教職員に何度も語ったとつたえられています。「チャレンジはTKUならではの精神なのです。
 創立者大倉喜八郎は18歳で越後国新発田から単身上京し麻布飯倉の「中川鰹節店」へ奉公、3年後、21歳で「大倉屋鰹節店」開業、そして明治に入る2年前倒幕新政府誕生の戦ありを予測して事業転換29歳で「大倉鉄砲店」を開いた、新時代到来と共に貿易業を興しその後土木、鉱業、木材、農業など多角事業へ進んで90年の人生を「死ぬまで働くのが私の理想」を貫いた。
大倉喜八郎語録「進一層」は1923年(大正12年)翁86歳の時、新潟県人会での講話が残っている、同郷新潟出身者の集まり「新潟県人会」で述べた記録である。
「一体に徳川時代の金言などには、いわゆる「事なかれ主義」的な消極な戒めが多く、到底今日のように万事が世界的になり、個人間、団体間の競争や国際間の競争の激しい時代にはあてはまらないものがある。「退一歩」などもまたこの一つに入る金言のようである。
実際今日は五歩にして十歩を志してもなかなか十歩にはたどり着けない世の中で、随分苦心もし努力をしても、またいわゆる「進一層」で更に歩を進めて勇往萬進してさえも容易に十歩の地には達し難いのだ。いわんや「退一歩」などと引っ込み思案なことをいっていては、何事をもなしえないではないか。ここにおいて私は「進一層」という事を主張する」
喜八郎の生まれ育った時代背景は幕藩体制を安定させた教学の基本「朱子学」にある上下身分秩序を重んじ、礼節を守ることが浸透しているなかで、喜八郎はあくまでも知ることは行うことという行動の基本原理を唱え実行を尊び、その行動を支える精神力を鼓舞した「陽明学」(知行合一)を規範としていたのではないかと感じられる。
県人会での言葉は、現代のチャレンジ、進取の精神、勇猛果敢、エバーオンワードの意味合いよりも人生を長く生きてきた経験者として粘り強く人の2倍、3倍努力して結果を出しなさい、それでもなかなか目標達成に届かないものであるのようにも理解できる。
喜八郎はこの2年まえには「自助と努力と誠意」を強調している、己が己を助ける、そして一生県命働く、努力しなければ幸福は得られない、誠の心がなくてはどうしても信用は生まれないとも言っている。
資源のない日本が世界で役立つには人材育成こそ必要と商業学校を設立、現在世界第2位の経済大国に成長した原点もここに見えてくる、大倉集古館をはじめ日本固有の文化を理解して大切に保存、育て、残し、家族を大切にする民族の先見性は今年のアカデミー賞受賞で世界の人々に理解されていることで引き継がれている。
「捨てる勇気」
リスクを伴う新規事業への「勇気と行動」はどこから湧いてきたのであろう、大変興味のあるところである。
国内では明治維新という経験したことのない時代、海外からは産業革命により欧米からの進出、どのようにして「財力と武力」の大荒波の中を生き抜いたのか。
越後から上京の折、姉がくれた所持金、奉公で蓄えた金、新規鉄砲店への転業準備金、その後自費での洋行費用をいかに生み出し、などすべてをつぎ込んでまたゼロからの出発、そして危機に接しての事業、その後の事業拡大などまさに「いかなる勇気を持ったのか」知りたいところである。
「失敗を恐れぬ勇気と捨てる勇気」をひと一倍持ち合わせていたように感じる。
何事も新しいことを始めるときには今日まで蓄積してきたものをなかなか捨て難い、捨てられないものである、新しいことは思い浮かぶが今までの通りの踏襲が安全と思い新規リスクには手を出さないのが通常であり、先取り提案型、開発型人間にはなかなかなれない。

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大久保利通 画像







                                     


                                      
                                      伊藤博文
 喜八郎は今日までの蓄財をすべて賭けて新規に取り組む勇気があったればこそ一代で大倉財閥となったのであろう。新規取組にはそれに知力、体力、忍耐力、統率力、人脈と情報収集力が備わってこそ行動できる。同時代に活躍した政治家大久保利通、伊藤博文、実業人渋沢栄一、安田善次郎、浅野総一郎とは特に親しく交流し互いに国益を通して良い関係を保った。
『喜八郎の人物像』
時代の先見性と機を見て敏な身のこなし、勇気ある俊敏なる行動力、国家・国益意識、健康で明るい人柄、人に上下はない発想とコミニュケーション力、多趣味な社交性、文化への理解、など世界の産業革命後と帝国主義に生きた乱世に適した人物であった。
さて、現代に生きるわれわれが「進一層」をいかに自分のものにするのか、前年踏襲型から先取り提案型へ勇気を持って実行して世の中の役に立ちますように。                     2009・3 島 爺
次回第4回 喜八郎の結婚と家族
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マンスリーコラム ―大倉喜八郎物語 ―第2回― 帝国ホテル

                第2回 「米国人フランク・ロード・ライトが設計」

 フランク・ロード・ライト(1867~1959)91歳  建築の巨匠  国内作品・旧帝国ホテル、現淀川製鋼所迎賓館ほか1893年シカゴ万国博覧会で日本館の[鳳凰殿]に出会い、その後日本の版画、美術品に強い関心を持ち生涯収集を続けた、米国内で講演会や展示会を開き、コレクターとして高い評価をえた。その後日本の本格的ホテル1号である帝国ホテル設計を受注する事となった。
 昨年末から年始、日比谷公園は「派遣村」として報道された。その公園側から見た帝国ホテルの右サイドの車道を奥に入り、駐車場右手前に「二人のこのホテル創立者」像を見る事が出来る。右は近代化日本の商業界をリードした人物子爵・渋沢栄一(初代会長・1840~1931)、左は明治・大正の実業人男爵・大倉喜八郎(第2代会長・1837~1927)である。
IMPERIAL HOTEL TOKYO竣工は1890年(明治23年)その後1923年(大正12年)ライト設計の新館が出来、そして現在のインペリアルタワーが新たに建てられた。


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1909年(明治42年)渋沢栄一が会長職を辞任し大倉喜八郎が新たに会長に就任した。渋沢と大倉は明治維新後の交流であるが終生誠に深いつながりを持ち続け互いに尊敬し協力して多くの事業,機関を二人で残した。
東京商工会議所設立(明治11年)、東京電燈設立(明治19年)、大倉商業学校(1900年・現 東京経済大学)を創立し現在も引き継がれている。
二人は海外に渡り西欧の文化、生活に接したため我が国の近代施設がいかに低いかを痛感していた。
喜八郎は幕末、戊辰戦争で得た利益で貿易事業へ進出、1872年(明治5年)から1年余り自費で欧米視察、ロンドン、ローマでは岩倉使節団のメンバーと接し面識を得てその後積極的に国益のために事業展開した。
 喜八郎は1909年ホテルの立て直しのためには西洋式ビジネスにたけたニューヨーク在住の林愛作を支配人としてスカウトした。その人物、林愛作こそ、その後帝国ホテル新館を設計する米国人フランク・ロード・ライトと喜八郎をつなぐ役割を果たすことになる。林愛作はニューヨークの山中古美術商で支店長を十数年経験しビジネスセンスに優れ、NY社交界に受け入れられた唯一の日本人だった。 東京では万国博覧会が開催予定もありさらなる発展のために新館の建設構想が動き始めた。
 1913年(大正2年)林 - ライトは何度もの交渉を重ねやっと仮契約までこぎ着けた。1916年(大正5年)林愛作はシカゴで正式にライトに帝国ホテル新館設計の契約を交わした。報酬は建築費すべての5%(結果的に3万ドル)と定め、着工は3年後となった。
当初計画では総建築面積6000坪(2万平米)工期2年、総予算130万円であった。ライトの天才的思考や完全主義は最新の排水、電気、暖房設備を取り入れ、特に地震国日本と建設地日比谷は元来沼地であったこと考慮して大量の杭を打ち岩盤にホテルを固定するという新しい方法を取り入れた。
建物に使用するライトが選んだ内外資材は大谷石、すだれレンガ、赤土のすやきなど入手に困難と時間がかかった。また家具、茶器、敷物、カーペットも自らデザインし、中国で織らせた。
以上の状況で工費はとめどもないほど膨張してゆき、工期も大幅に遅れたが途中何度となく資金不足にぶつかり工事の進行が危ぶまれたが、当初より喜八郎は林愛作とライトを信頼し一つ一つのリスクに対処して決断し最終的に開業に至ったのであるが、まさにその5ケ月前の4月旧本館地下室から出火本館が全焼してしまった。その全責任をとり会長の大倉喜八郎と支配人林愛作は辞表を提出した。
 ライトは最大の理解者の二人が去り落胆して建設途中でアメリカへ帰国してしまった。そしてまた開業日を迎える1923年(大正12年)9月1日、東京は関東大震災に襲われてしまったのである。米国各紙は「帝国ホテルも崩壊」と伝えたが、しかしライトは1週間後大倉喜八郎(85歳)からの「帝国ホテルはあなたの才能の記念碑として、いまだに無傷です。数100人の被災者を保護し、大いに役立っています。 おめでとう」という電報を受け取った。
ライトにとって生涯忘れられないニュースとなった。
喜八郎の言に「誠実」という言葉がある、商業を広くするには誠の心がなければ信用は生まれない。国家の繁栄に必要なホテルを建設する「責任と信用」がここにもうかがえる。
 会長喜八郎辞任のあとは長男である喜七郎が就任し第二次世界大戦が終了し大倉財閥解体まで経営した。
その後、他に渡り国際興業小佐野健二氏、第一勧銀、現在は三井不動産が大株主となっている、建物は1969年取り壊しとなり正面部分は愛知の明治村へ移築展示されている。
 喜七郎氏は帝国ホテル会長とともに1928年(昭和3年)川奈ホテルのゴルフ大島コースを、また1936年(昭11年)富士コースを完成し、ゴルフの先見性を示した。
戦後は新たな夢「欧米の模倣ではなく外国人がああ日本にきたのだなというホテル」に着手して、光悦・宗達イメージのホテルを自邸あとに大成観光(株)「ホテルオークラ」として昭和37年に開業した。大倉家4代目喜彦氏が取締役を勤めている。
 現在大倉喜八郎の残したものは各地にあり神戸市へ寄贈した「大倉山公園」(別荘あと)、墨田区「大倉別邸あと(共栄倉庫土地)、銀座大倉本館(現カルテイエブテイック)、虎ノ門・大倉集古館(美術館・ホテルオークラ)札幌・大倉山ジャンプ場、虎ノ門・大倉高等商業学校あと(現ジャパンエナジー)、豊島区大塚・(菩提寺護国寺(命日4月22日)丸の内・帝国劇場、ホテルオークラ(本邸)など。
 戦前、大倉高商学生は在学中「正式パーテイーでの洋食作法を学ぶ」授業として帝国ホテルでの食事会があったと伝えられている、卒業生は帝国ホテルへ就職して勤務し優れた人材として活躍した(川奈ホテル、赤倉観光ホテルほか)元支配人郡司茂(大正12年卒) 片岡豊(大正14年卒)等はホテルオークラ開業時にも活躍した。


                                                 島田 茂  記
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企業と大学との懇談会(2009年1月20日)

 大学主催の上記の会が、例年の如く千代田区のお堀端に位置するパレスホテル・ローズルームにて催されました。懇談会を前に17:10より1時間にわたり 岸志津江 経営学部教授による「ブランド戦略とマーケッティング・コミュニケーション」についての講演があり、会への出席者の多くの企業の人事採用担当の方々も聴講しておりました。
 懇談会では久木田学長より各企業に対して学生達の採用のお礼と、また、インターシップの受け入れに対してのお礼の言葉が述べられました。本年の出席参加企業数は約300社より450名近い人事担当の方々が参加し、景気悪化による採用手控えの影響により昨年よりの参加企業の減少が心配されましたが、昨年とほぼ同数の企業の参加がありました。
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 大学よりは学長以下、副学長、学部長をはじめ学内の各課長、教授、準教授、講師の方々まで出席し、キャリアセンターの全員も参加です。今回特に目立ったことは就職委員の教授の方々と、インターシップ推進委員の教授が多数参加されたことです。これらの方々だけで35名を数え、更に大学理事6名、卒業生の就職アドバイザーの中から流通会7名、葵金融界1名と全部で70名の人達が招待者側から出席しておりました。これは、これから予想される就職不況に対して危機感を持って対処する大学の姿勢が顕れているものと考えられます。

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 これより約1時間半にわたり、ビュフェパーティー形式にて歓談の時間が続き、企業からの方々は教授達やキャリアセンターの方たちとの対話の時間となりました。19:45頃より一之瀬副学長の参加者へのお礼の挨拶がありお開きとなり、会場入り口で学長をはじめ全員でお客様へのお見送りがあり成功裡に終了しました。

企業担当者と歓談中の中村準教授と野田インターシップ推進委員

                                                         茂木 記

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コストコ(COSTOCO)ホールセール

私の家から車でさほど遠くない町田市小山ヶ丘にコストコ多摩境倉庫店があります。最近、近隣の人達や娘の家族がメンバーに登録して時折出かけますので、同行してみました。
このコストコは米国で1976年にカリフォルニア州、サンディエゴ市の飛行機の格納庫を改造した倉庫店で始まり、現在米国では206倉庫店、売上高は円換算で1兆6千億に達しています。日本には1999年に福岡県久山町にコストコホールセール倉庫店として進出し、現在国内には8倉庫店が展開されているとホームページには書かれてます。
東京近郊ではこの多摩境店の他に、幕張、金沢シーサイド、川崎、入間の倉庫店があります。
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この店はメンバー制で個人会員の場合年会費4200円であり、法人会員はさらに安い会費で登録出来ます。そして写真つきのカードが本人と配偶者に発行されます。そして、本人と2人までが同行できます。
 この店は一般の小売店で売るような商品を1点ずつ購入する事は出来ません。ホールセールとあるように卸売の単位でのみ販売しており、普通の家族では何でもとても多すぎて困ります。そこで、最近では近隣の人達がグループとなり、友人たちで購入したものを分けているケースが多くなっているそうです。確かに価格は大変安く倉庫で販売員も説明員も居ない中での買い物をしなければなりません。
 今回私達と一緒に行った1人の奥さんがメンバー加入の手続きをその場ですることになりました。その受付カウンターには日曜日であったこともあり、60~70人が並んで待っており、本人の写真を撮ることもあり30分ちかい時間が掛かってしましました。
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やっと商品の並ぶ1階に入ると、成るほど天井は10メートルを越し柱の少ない中に高い棚が並び、初期の格納庫を彷彿させる倉庫そのものです。彼らが倉庫店と称する理由が良く判ります。その商品はテレビ・パソコン・デジカメ・腕時計・ブランドバッグからインテリア用品・家庭用品・食品・お酒・乳製品・果物・子供用品等、皆カートンに詰められたままで、商品見本を手に出来ないものが多数です。食品では幾つかの果物等が試食出来るものがありました。本当に価格は魅力的ですが、量があまりにも多すぎて、沢山食べる食べ盛りの若い人が多い8人家族位でないと、とても使い切れずに無駄になってしまわないかと心配です。しかし、買い物をしている人達は殆ど一般の人達と思われました。もちろん平日は業務用の人が多いのかもしれません。
 大きなカートを押して3家族の食品や洗剤などを購入しました。今回初めて入会した奥さんは「予定の3倍くらいの金額を買ってしまった」と少し値段にあおられて買いすぎたことを反省していましたが、主婦はやはり安さには弱い様子でした。私の目にはそれらの食料などが無駄にならないかが一番の心配事です。
しかし、不景気下の生活防衛を考えて、一般の人達の新しく会員になる人が増えているという記事が、1月26日の日経の1面の記事の中にも書かれておりました。時代の流れがその様な方向に流れているのが今の流通業界の実感です。

                                                       茂木 記
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大倉喜八郎物語

     マンスリーコラム         喜八郎物語-第1回「横浜」
 明治の実業家・大倉喜八郎(1837年9・24生~1928年4・22没)
昨年は大河ドラマ「篤姫ブーム」で天璋院篤姫(1835~1883)の時代背景に強い関心が集まりました。
日本は1858年米国をはじめ英国・仏国・蘭国がそして露国との修好通商条約締結が進み時勢は一途開国へ進むと思われたが攘夷,倒幕の過激派の暴力が横行し、各地でひんぱんに外国人が暗殺された
喜八郎は17歳(1854)で越後/新発田から単身上京、麻布飯倉の中川鰹節店へ住み込み店員として3年間修業し、1857年上野摩利支店横町(現アメヨコ街)に「大倉屋」という乾物屋を独立開店しました。そして慶応元年(1865年)28歳のとき「これからは戦争になるだろう」と予測し神田和泉町で「大倉屋鉄砲店」へ商売替えをした。まさに維新3年前でありました。
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喜八郎が上京する1年前1853年6月米国ペリー提督の艦隊が浦賀に来航以来14年の歳月を経て国内外の激動は自らの将来にも決断の時期ととらえたのであろうと推測されます。
喜八郎にとって「横浜」は鉄砲店に至るまでの数年の間情報集収と横浜現地調査、人脈つくりそして幾多の危険と困難のなか鉄砲商として信頼をえて、その後日本で初の自費海外渡航、貿易商から大倉財閥確立発展そして国益につながる国内外への事業進出、商業学校設立、その他大学への寄付行為、帝国ホテル、帝国劇場建設、につながる大きな土台になったと推測できるのです。後日「人間がいかにいきるべきか」の問いに本人は「人の二倍三倍働くことが最後に勝利を得る、真の努力は愉快である」「私は自ら戦士をもって任じている。商業は即ち平和の戦争である」と答えている。
英国公使オールコックは来日前に「日本の開国が可能なためには封建制度が打破されて新しい体制が生まれなければならない」と考えていたようです。
対日外交は米国ペリー主導から英国の手に移って行き、1863年横浜の外人在留者300名のうち英国人は140名、商会数32社のうち16社を占め貿易総額の85%が英国となっていた。
英国商社大手ジャーデン&マセソンは中国での実績・経験をもとに生糸輸出を日本の栃木の野沢屋(茂木)埼玉の亀屋(原善三郎)と取引をした。原氏足跡は現在「横浜三渓園」が残っている、生糸商社山梨の若尾逸平も大正、昭和まで存続していました、
当初は輸入の主体は船舶・武器・綿製品、輸出生糸・茶であったが江戸には200件前後の同業がいたが喜八郎は商品知識・貿易実務・人脈作りをもとに受注するとすぐにオランダ商人エドワード・スネルより仕入れをして納入した
宣教師として来日した米国ヘボン夫妻は御主人が1861年眼科医開業し喜八郎も治療を受けている、ヘボン式ローマ字がご承知の通り、聖書の日本語訳、また奥様の英語塾は高橋是清、大村益次郎などが学んでいました。
その後明治学院、横浜フェイリス女学院、横浜共立女学院などとしても現存している
横浜の発展は居留外国人の楽しみである小劇場もでき盛んであったようである   
次回「帝国ホテル」    2009・1 SJ
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朝日新聞社刊行アエラ記事 ―「価値ある大学」―

12月15日発行のアエラNo56号の中の記事に、上記のタイトルで当大学が載っています。
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就職で健闘する「価値ある大学」として総合・経済の分野では京都産業大学・立命館アジア大学・東京経済大学・大阪経済大学の校名があります。









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「100年以上の長い歴史を誇る東京経済大学も、各界で活躍するOBとの連携によって、就職実績の堅調さを保つ。全学卒業生組織「葵友会だけにとどまらず、「葵マスコミ会」「葵流通会」「葵金融会」など、在学生の就職支援を目的とした業界ごとのOB会が組織され、学生の就職活動に当る。・・・・・の記事です。
他に教育分野では文教大学・岐阜聖徳学園大、福祉の分野では日本社会事業大・日本福祉大の名が挙がっています。その他、家政・服飾の数校の名も見られます。
参考までに島田幹事長の意向で掲出します。

                                茂木 記
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第7回 葵流通会総会・懇親会報告

この10月23日(木)恒例の総会・懇親会がJR市ヶ谷駅より程近いアルカディア市ヶ谷(私学会館)富士の間にて開催されました。当日は流通会OB約70名、大学関係の学長、学部長、教授とキャリアセンターの方々など23名、学生100名と総勢200名近い方々が参加されました。
本年は特に流通マーケッティング学科創設10周年であり、大学と流通会が協力して木村教授主導のもとでファッションマーケッティング講座を上期に実施したこともあり、学生たちの興味を引き参加希望者が増加しました。
 会は6時より始まり、新見邦由氏(昭45年 小田急百貨店)司会のもと、岡本美彦会長(昭23年高島屋OB)の挨拶、久木田学長よりの話が続きました。
記念講演は本学平成元年卒業の孫 光氏の「北京オリンピック後の中国事情」と時期を得た中日の事情に詳しい(株)チャイナネットワーク社長の話を傾聴しました。 その中でオリンピック後の中国にもたらされた影響は、(1)環境意識 (2)世界融合意識(One World, One Dream) (3)人権意識 の大きな変化が見られるとのことです。
また、色々な面で光と影が交錯している現状等を事例を挙げて説明されました。
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    孫 講師の記念講演
 ここで来賓の衆議院議員木村隆秀氏ほかの紹介があり、葵友会会長加治 章氏の挨拶の後に懇親会となりました。
ここよりは吉田 寛氏(昭56 三越)と妹尾友香さん(平17 さいか屋)の二人による司会で野口悦功氏(昭49 高島屋)による乾杯の発声で、各テーブルを囲みなごやかな談話の時間となりました。この時間を利用して学生達は業種別に別れたテーブルのOBたちに話しかけ情報の収集に熱心に話しかけていました。
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 本年入社社員に聞く学生
今年特に目立ったことは今春入社した5人もの方々が参加してくれたことです。在学生たちもこれらのフレッシュな方々に話を聞く事が一番身近な情報となり、大いに役立つものと考えられます。我々、この会を計画した幹事として大変好ましい光景を目にしてたいへん嬉しく会が学生の間に定着したことを実感しました。
 懇親会の中でファッションマーケッティング講座での優秀な成績の学生22名の中の14名が参加しており、その方々に表彰状と記念品が贈られました。これには葵経営者クラブよりの多大なご寄付があり、また、記念品の贈呈においては講座を担当して戴いたファッション人材育成機構のゲストとして参加された講師の方や繊研新聞の方々から手渡されました。
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   岡本会長から表彰を受ける学生達

 会の終盤に近づき、校歌斉唱があり奈流芳捷氏(昭42 さいか屋)がリードし、右澤信一氏(昭42 さいか屋)が閉会の挨拶を担当しました。学生達は残りの僅かな時間にもOB達との話を続ける姿を目にして、会の確立と成功を実感出来る会となりました。

                                                    茂木 記
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10月23日 第7回葵流通会のお知らせ

第7回葵流通会懇親会(ビュッフェスタイルパーテイー)
    10月23日(木)午後6時~9時
    市ヶ谷駅前   アルカデイア(私学会館)
    会  費  卒業生3000円(新卒1000円) 

  イベント
     午後6時~7時
   1・時事講演 「北京オリンピック後の中国」講師 孫 光氏
     午後7時~9時  
   2・懇親会イベント
     経営学部流通マーケテイング学科10周年
     ・「ファッションのマーケテイング」特別講座
      成績優秀者表彰
     ・外部講座講師サイン色紙額贈呈
      卒業生と学生、教職員交流会
      学生の進路相談、卒業生間の情報交換

  参加希望のOBの方は下記に電話で連絡してください。

  東京経済大学 校友センター 野邊さんまで
    Tel: 042-328-8033



                               常任幹事長   島田 茂
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9月19日幹事会

 恒例の葵流通会総会・懇親会が10月23日(木)に催されました。
その運営のスケジュール決定について、岡本会長はじめ9人の幹事と、大学よりは中経営学部長・木村教授・堺野キャリアセンター長を含め6名の方々が出席して打ち合わせ会が大手町の葵友会談話室で18時より持たれました。本年も市ヶ谷のアルカディア市ヶ谷を会場に、OB70名、学生100名、教職員30名の合計200名の会となります。
本年は流通マーケッティング学科開設10周年記念の講演として、母校の経営学修士課程卒業の(株)チャイナワーク代表取締役の孫 光氏の「オリンピック後の中国事情」と決定されました。そのスケジュールにおいて、OBと学生との交流タイムを出来るだけ取れるようにと、時間調整に検討時間を費やし、最終決定がなされました。また、この進行においては会の若手の会員が中心になり運営されることも併せて決定をされています。
総会・懇親会の運営において新しい力が大いに期待されるところです。
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三井アウトレットパーク入間

 ことしの4月10日にオープンしたこの商業施設に家族で出掛ける機会を得た。
我家から6キロくらいの所には、この施設の同類の三井アウトレットパーク多摩南大沢があり、ここは京王多摩線南大沢駅からも歩いて3分くらいであり、駐車場も他の施設ほどは大きくないがかなりあり、その南欧風の建物のイメージの良さもあり、更に昨年増築もされて、いつも賑わっている。
 圏央道を入間のインターで降りて16号線に入り、八王子方面に500mも行くとコストコの建物が左手に見えて直ぐにアウトレットの入り口に着いた。この敷地は89000平方メートルで、約東京ドーム2個分の広さであり、施設の延べ床面積は78000平方メートルあり、駐車場は3000台の広さを有している。商品販売の店舗は181店あり、全体では204店で構成されている。この店の数では確かに今までの施設に比べると多いと言える。
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 訪れた日は平日であったが、若い人達や家族連れが中心であり、昼食時間には各レストラン店共に20名から40名くらいが並び、立派な屋台村風のセルフサービスでカフェテリア調のフードコートも空席を見つけるのが難しいほど大変な人出であった。店舗の構成は他の同様の施設とは同じようであったが、特に目立つ新しいものはなかった。
この構内はペットを連れて歩けるようになっており、店内に入れるペットショップ関連の店もあり、犬と一諸の人がいたが、一頭のコーギー犬が吠え続けており、子供連れには不安感を与えていた。
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私のように女性の買い物に一緒に来て何時間も待たねばならない男性には、ゆったり座るベンチも少なく居心地の悪い時間を過ごさねばならなかったのも事実であった。
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特別講義「ファッションマーケッティング」第11回報告 石原紀彦氏「ブランド戦略」

 7月8日(火)に葵流通会常任幹事、昭和39年卒の元「インパクト21」株の社長の経歴をもつ石原紀彦氏が講義を担当された。話は先ず氏が大学1年の時に、北沢新次郎学長(当時70歳)の感銘を受けた経済原論の講義を学友達と必ず最前列に席をとり聞いたこと、また、授業開始の時には“お願いします”と挨拶の声を上げたこと、最後の記念講義の後に学長室に呼ばれて、学長より色紙を戴いたことを熱く話された。学生達は何時もの授業よりも静かに聞き入っているように感じられた。
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 講義においてはブランドの持つ意味、その確立について自らの仕事の上で取り組んだ「ポロ・ラルフローレン」の戦略について語り、学生たちに判り易く話を進めた。そして企業のあるべき姿を経営者の体験より話され、学生達の就職に際しての指針を示して、その判断基準の解説を加えた。
 最後に、氏が大学4年次に夏休みの50日間を北海道日高の競走馬育成牧場で、自分が大好きであったサラブレットと共に牧場で馬の世話をして働いた「情熱をもって新しいことにチャレンジ」という、大学創設者の「新一層」の考えをもって行動する冒険心と行動、努力の大切さを力強く訴えた。
身近なOBの話しになるこれらの内容は学生たちに大きな影響を与えるものと確信した次第であった。

                                                     茂木 記
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6月25日(水)常任幹事会

 久々の岡本会長の出席のもとで、大手町葵友会談話室において18時より、今秋の10月23日(木)の総会・懇親会に向けて実施案の検討会が催されました。
その主議題の検討を前に大学側より参加いただいた中経営学部長より、欠席された木村立夫教授に代わり、この4月より学内にて実施されているファッションマーケッティングの記念講義の状況について話されました。我々の幹事の中でも仕事の現役の方々は直接大学にて見聞きしたことの無い方に対しての説明と報告がありました。
続いて当日の課題である総会の時の講演者について話し合われ、候補者の検討がなされましたが、数名の候補が挙げられましたが結論には到らず、第一候補・第二候補者の決め、この方々の予定日の都合等を確認してから最終的に決定することになりました。
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最後に、キャリアーセンター長の境野氏より現時点の学生の就職活動の中間報告と、届出がされている内々定者の業種別分類等の解説を聞いて会を終了しました。
当日の参加者は(敬称略) 大学側: 中経営学部長・境野キャリアセンター長・菊池・風間・石田さん
                 幹事:   岡本会長・白土・島田・茂木・石原・奈流芳・新見・野口・鳥谷・馬場・奥平
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特別講義「ファッションのマーケッティング」第3回報告

 5月13日(火)の授業内容は「デザインの現場からの発信」のテーマのもとに(株)テ・アシュ・デ・ラ・メゾン社長の畠山巧氏が担当した話であった。
講話の初めに氏のデザイナーになろうと思った動機と大学を中退して東京モード学園に入る話から、その後たどった体験・努力・チャンスとの出会い、それに対して自分が考えた道について詳細に話された。これに対して学生達は大変興味深く傾聴している姿が見られた。
続いてスクリーン上にデザイン画を表示しながら、先ずデザイン画を創作し、それを実際の着用できるものへと細部を考え、それを商品として完成させるまでのパタンナーとの仕事の繫がりについても判り易く解説を加えた。
そして、自分のデザインが商品化され、各シーズンの発表会においてモデルに着せて開くショーの準備・実施についても画像を映してデザイナーの仕事の全てを語った。
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我々OB達でファッションの仕事に携わった者には判りやすい説明であったが、ファッションの概念を初めて聞くことになる学生たちにとっては、言葉の意味の理解においてもかなり難しく感じた部分もあったのではないかと推測された。
今回も前回と同様に800~900名近い学生が2教室で受講したが、学生間でかなり人気の高い事を確信出来るものであった。
                                   茂木 記
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特別講義「ファッション・マーケッティング」第2回報告

「ファッションビジネスにおけるトレンドの活用」 栗山士明講師

 第1回講義においては500余名の受講者数であったが、まだ履修届け前でもあったことで正確な受講数が把握できなかったところ、今回締め切ったところが800名を超える人数になったことが木村教授より報告されました。
本来の授業であれば受講者の制限が出来ますが、今回の講座シリーズは流通マーケッティング学科創設10周年記念ということで、2年生から4年まで各学部の学生にオープンで受講出来ることであり、これによりこの数字となったとの説明がありました。そして、コミニケーション学部の学生の受講が目立っているとのことです。
 そこで、第2回目の講義は従来の500人教室に加えて300名用の第2教室が用意されて、講義をスクリーンに映して聴くということになりました。前回と同様に男女の比率は同じという感じです。学生たちも早めに教室に詰めかけてきて、第一教室は早めに満席となり、その後に来た学生達は第2教室へと導かれました。
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今回の講義内容は昨年の秋冬のファッション傾向から、今年考えられる秋冬の傾向予測の話しであり、特に女子学生にとっては興味の対象でもあり、スクリーンに映し出されるパリコレ等のファッション映像に注目していました。
今回のこの講座の人気がある理由としては、この様に自分のファッションにも反映出来るメリットが大きいと考えられるのではないかと私には思えました。次回のトレンドカラーの講義もその意味で興味を惹きそうです。
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今回の教室の雰囲気も前回よりは少し改善されたようですが、90分授業の終盤にかかるとやはり私語が出て緊張感が失われてきます。
今の若者にももう少し忍耐力が欲しいと感じた次第です。

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特別講義「ファッションマーケッティング」 第1回報告

流通マーケッティング学科創設 十周年記念
特別講義「ファッションマーケッティング」 第1回報告

 4月15日 ファッション産業人材育成機構(IFI)の支援を得て、木村立夫教授、北村真琴講師による上記授業の第1回講義が行われました。この講義においては葵流通会幹事長である島田茂氏がコーディネイター役を務めています。
 同日の授業は2号館にて4限(14:40~16:10)に行われ、500席の教室はほぼ満席であり、一部後方で立つている学生も見られました。
木村教授の話によると、当日までの履修届けでは200名を少し超えるほどであり、これ程の学生が集まるとは予想していなかったそうです。しかし、今回の講義はまだオリエンテーションの期間であり履修届けの締め切り前であったこともその要因であったようです。
そのような訳で第2回目の参加者を見ないと正確な受講者数とは言えないでしょう。
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 講義はIFIビジネススクール部門長の井上義次氏により、用意されたレジュメにより進められ、日本におけるファッションビジネスの規模や推移、ファッション産業の流通構造などのマクロの話しより現状と課題についての話となりました。
受講学生の構成比は男女半々という感じで、全学での女性比率30%を考えると女子学生に人気が高いと言えるでしょう。
その学生の受講態度は、今の一般の大学がそうである様に私語も聞こえましたが、私が他の授業で経験したものよりは良好でした。しかし、授業中にも拘らず帽子を被ったままの学生が居り、彼らに対して私が3人ほど帽子を脱ぐ事を求めました。教室内には他に2人ほどその様な学生が居ましたが、席の位置が遠く注意する事が出来ませんでした。今後の授業ではこの様なエチケットを社会人として身につけさせる必要があると痛感しました。
今回は4・5名の他の教師が周囲に配されていたこともあり、比較的に良好であったと考えられました。
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               私の隣で居眠り中の学生達
この様な流通会も関わる授業では、我々OBが教室に参加して学生たちに緊張感を与えるよう努めるべきであろうと感じ、今後時間のあるOBには次回から是非参加を期待したいものです。
次回の講義は4月22日(火)14:40より2号館2階であります。その時の参加学生数が本来の受講者数となり、それがどれ程かが注目されます。

                                         茂木 記
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今春 「ファッション・マーケッティング講座」 開設

 母校経営学部流通マーケッティング学科創設10周年を機に、ファッションの講座が誕生します。この初めての新講座は今年4月から「ファッション・マーケッティング講座」(仮称)として、経営学部木村立夫教授を中心として準備されてきました。その目的はファッション知識を有する流通人を育成するのがねらいです。
この講座の開設にあたりファッション産業人材育成機構(IFI)のビジネススクール(尾原蓉子学長)より第一線の実業界講師が多数来校予定です。この講座を開設するのは全国大学で7番目であり、葵流通会をはじめ卒業生の積極的な支援体制を組んでいます。
講義は業界の具体的な実例の紹介がベースとなり、講師陣はIFIの第一線で活躍中の経営者・デザイナー・実務者が中心となり、ファッションビジネス、ファッションマーケッティングをテーマ別に発信する予定です。また、討論やグループワーク等で学生の参加意欲を引き出しながら進められます。
 ファッション産業はグローバル化とIT(情報技術)の発展などにより、従来の枠組みを超えたソフトビジネスとなっており、これらの発展、変化を担う優秀な人材を求めており、日本発のファッション発信、展開を行うことへの期待がされています。
経済通産省はこうした流れを後押ししようと関係自治体、経済界、産業界と共に「ファッション人材の育成事業の充実」に力を注いでおり、大学・大学院にファッションビジネス関連講座を設置し人材教育を行う支援策に取り組んでいます。
それにより、商社・メーカー・小売・商業施設のブランド戦略、プロダクトマネージャー・マーチャンダイザー・バイヤー・マスコミ関係のファッションライター・スタイリスト・コーディネイター・シーズンコレクションビジネス・広告担当など国内外での場で活躍できる人を育てます。
 この新しい講座は国内の若者のみならず、海外特に東南アジアからの学生も考慮にいれています。この4月からは木村立夫教授と共に新しく着任した北村真琴先生も同講座の推進の中核となる予定です。
なお、この新講座のコーディネイターとしてIFIとの調整役には葵流通会の常任幹事長の島田茂氏が当ることになつております。
また、ファッションマーケッティング講座と並んで「食のマーケッティング講座」の開設も木村教授を中心にこの秋に開設予定です。

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エキナカ その3 (大宮エキュートの改装)

 大宮駅近くに開設された鉄道博物館が大変人気を呼んでおり、そこを訪れた際に再度大宮エキナカを詳細に見て周りました。
この博物館の開設以来、大宮の乗降客はかなり増しており、特に家族連れが増大しています。その人出をも考えて、今回その売り場が大きく改装され、エキュート1号が進化し始めました。
その中心が[Food Theater]です。
今までも食品売り場はかなりありましたが、今回はその集積を大きくして御弁当類・ケーキ・惣菜が大変充実してきました。しかし、その中にはイートインは少なくカレーのお店が大変賑わっているのが目立ちました。神戸コロッケや焼き鳥のお店も以前より出店していますが、そのイメージが改装によってかなり高く感じるようになっています。
最初に出来たエキュートとして試行錯誤をしながら脱皮中というのが私の印象ですが、最近増えた客層を大いに意識したものと感じました。

                                            茂木 記
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エキナカ(駅中) その2(ディラ 三鷹)

 大宮・品川・立川・東京駅に続いて、第5番目ともいうべきディラ三鷹が12月16日に中央線三鷹駅橋上駅にオープンしています。この駅の駅周辺には大きな商業施設は無く、一応南口が駅の正面と歴史的にも言えるでしょう。
この3階の改札からコンコースへ入ると、ケーキの店が先ず目に入ります。その奥には今までのエキナカでは見かけなかったクイーンズというクイーンズ伊勢丹の小規模なお店と思える食品中心のかなり大きなショップが広がっていました。他にはベーカリーやオニギリの店があります。エスカレーターで4階へと登ってゆくと、書店と女性のファッション雑貨の店や、自然化粧品・ヒーリングコーナーなどもあります。
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飲食ではスープのお店や中華レストラン・マッフィンと喫茶・ジャムの専門店が目に入ります。これらの内容はキャリアガールをメインターゲットにして印象が強く、男性向けではオニギリやくらいのものでしょう。
全体の広がりも中途半端であり、4回の化粧室に立ち寄ってみましたが大変狭苦しく、男子用では小1、大1だけでした。せめて立川のエキナカの設備並みの余裕のあるものを設置してもらいたいものです。
よほどの急ぐ買い物ならば利用する気にもなるでしょうが、途中下車して買い物をするだけの内容とはいえない様子でした。

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企業と大学との懇親会(1月22日開催)

 例年大学主催による上記の会が、パレスホテル2階ローズルームにて開催されました。これは大学の学生の就職活動の一助として企業の人事採用担当者の方々を招待して、大学について説明し理解と本学学生の採用をお願いする場として実施されているものです。
今年の参加企業は312社、450名の方々が見え、大学よりは学長、副学長、理事、教授、大学事務局、キャリアセンター、更に葵流通会からは8名の方々が加わり70名近くの参加で会場は一杯になりました。
懇親会の前にコミュニケーション学部の吉井博明教授による講演「災害時の情報伝達と危機管理」の講話があり、沢山の方が聴き入りました。.
ビュッフェパーティー式での懇談会では、各企業の担当者とキャリアセンターの方々、教授を囲んで交歓の環が広がっています。昨年も気付いた事ですが、各社の採用担当者には多くの女性がいきいきと会場で関係者に働きかけており、若い人の熱意が伝わってきます。
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今年本学より2名の就職が決まった企業の採用担当者と
入社決定女子学生、OBとの歓談


ここ2年において就職状況は好転しているとは言え、決して目的の企業に就職することは易しいことではありません。最後に陣内副学長よりのお礼の言葉の中にも、当校の学生のレベルも一歩ずつ上がっていることを熱くアピールしていたことが大変に印象的でした。
この様な毎年の行事とOB達の熱意とにより、就職競争を勝ち抜いてゆきたいものです。


                                          茂木 記
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1月11日葵流通会常任幹事会

マーケッティング学科10周年記念特別授業 

大手町葵友会事務所にて、1月11日(金)18:30から20:45において常任幹事会が催された。その場では昨年平成19年の活動の報告と本20年の活動方針について大学側との話し合いが持たれた。
大学よりは堺副学長、中経営学部長、木村教授、本藤準教授、境野キャリアーセンター長、菊池課長、風間部長、葵友会東京経済編集長松田氏が出席された。当会からは豊生副会長、川島、白土、島田、茂木、石原、吉田(寿)、増田、大槻、奈流芳、野口、吉田(寛)の方々が参加し、司会を石原氏が担当して進められた。
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今年の現時点での就職内定状況等についてキャリアセンターからの数値の説明の後に、今年の最初の協力行事として、1月22日(金)パレスホテルにて催される大学主催の「企業と大学の懇親会」において、大学側教職員60数名のほかに、流通会よりのOBの参加の依頼があり、この会場に例年のように10名近くの方が400名を超える企業からの採用担当者の方々の応対の応援として参加することを確認した。
次に、今春3回目となる新入生を主なる対象とした「新入生懇談会」について話し合いがなされた。教職員とOBが一諸になり新入生に入学時からの就職に対する意識づけと、同時に2年生からの在学生に対しても就職活動準備の一歩を踏み出す機会の提供が検討された。
また、例年秋に市ヶ谷のアルカディアで開催される葵流通会の「総会・懇親会」の件につき、風間部長からの会場予約に関しての説明があり、10月23日(木)しか空室が無く、この日にすることを双方で決定確認した。
 次に、この打ち合わせ会で一番重要な事項である項目が下記ののように検討決定された。
大学において本年度は経営学部のマーケッティング学科設置10周年にあたり、それを記念して特別行事の企画が大学と会との話しで進められており、その骨子がほぼ決まり木村教授から説明がなされた。
それは2008年度特別授業計画として、4月より7月までに12講座で「ファッションビジネス入門講座」を東京に本部があるファッション産業人材育成機構(IFI尾原蓉子学長)との提携のもとに開講するものである。この機構は通商産業省がファッション人材の育成事業の拡充方針のもと、大学、大学院にファッションビジネス基礎講座の設置を支援しており、現在全国で5大学、青山学院・神戸大・首都大学・横浜市立大・法政大、が開催しており、新たに東経大も・上智大・明治大・日本女子大の4大学と共に加わることに決定した。
また、この特別講義では第二期の10月より1月において「食のマーケッティング」の講座も企画されていることが資料を付けて説明された。これらの講義においては毎回実業界で活躍中の方を講師として招聘することになり、本学出身の講師も想定されている。
これらの企画では大学と葵流通会との連携のもとに計画実施されるものであり、多くの在学生の受講と、OBの方々の協力が欠かせない。それにより本学の特徴ある内容を打ち出して本学としての独自性を目指して行くものである。
会員各位には活動への大きな支援が期待される。

                                      茂木 記
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JR「駅ナカ」の新展開

 JR東日本が手掛ける「駅ナカ」(駅構内の商業施設)の展開が急速に広がっています。
JR東が最初に手掛けたものは確か大宮駅です。この駅は新幹線停車駅であると共に、東北本線・高崎線の分岐駅であり、さらに川越線や私鉄の東武春日部線が入っている乗降客・乗り換え客の多い駅です。。
その「大宮エキュート」はコンコースの両側に販売店が連なって菓子やパン、土産用の有名商品が中心であり、一般の街中の商店街の風情がある。食物24、スイート21、イートイン10、雑貨14店舗であり、コロッケ・駅弁(他の駅の駅弁も)、食べ物もチャーハン・カレー・パスタと庶民的なものが多いのです。これは最初の駅ナカであり試金石でもあったからでしょう。しかし、その後の店作りにはこの店作りの経験が十分に活かされていると考えられます。
 次の駅ナカ「品川エキュート」になると、従来の飲食店中心のものに2階建ての建屋も加わり書店から文具・服飾品・花屋・ベーカリー・和洋菓子・惣菜・漬物・サンドイッチ・弁当・おにぎり・お寿司・の他にアイスクリーム・カフェ・日本料理・インド料理・イタリアンカフェと盛り沢山です。そして、大宮の例と異なりかなりレベルの高い全国ブランドではない個性的な店が多いのが特徴です。各店の品揃えやメニューをみるとキャリアーガールの支持が大きいのが良く判ります。
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                     品川エキュート
品川という土地柄、出張に出掛けるサラリーマンにとってお弁当や飲み物を購入にも楽しい品物を購入できる実に便利な商業施設であり、その価格もリーズナブルなものが多いと感じました。ただこの施設には1つ惜しまれる事があります。それはこの立派な施設にしてはトイレの数があまりにも少ないのです。大変きれいではあるが男子用でも小3、大2のみであり、多分女性用でも5室くらいではないかと思われ、女性が7・8人並んで待っている状況でした。
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                      立川エキュート
 次にこの10月4日にオープンした「立川エキュート」は広さでは品川の半分も無いスペースで駅中というには商店数も見劣りがします。しかし、その駅の周辺の実情に合わせて帰宅前に買うための惣菜などには良いものがあり、書店やティールームも使いやすい配置です。
立川駅には充実したルミネがあるだけに中途半端な感じは否めません。
しかし、その後知った事ですが、改札の外にも駅ナカがあるというのです。駅中とは改札口の中に有るのが概念と思いましたが、JRの公式の説明では改札の内外は関係がないのだそうです。また、公式には「駅ナカ」はカタカナで「エキナカ」なのだそうです。但しこれには気付かず改札外はまだ見ていません。
しかし、特筆すべきはこのトイレの充実振りです。広さと数では品川の4倍近くあり、大変ゆとりのあり駅のトイレの抵抗が無くなります。皆さんも良く知っていると見えて多くの人々が使用していますが待つような状況は全く見えません。
 この10月25日にオープンした東京駅の中央通路の下にある商店街「グランスタ」はティールーム等が沢山あり、そこへ降りてゆくエスカレーターも一人乗りであり、店数は多いのですが土産品中心であり、各店の訴求力が小さいというのが私の実感です、45店もの店数はありますが、これという目立つ店が直ぐには判りませんでした。
しかし、ここでは31通貨の両替が出来る「ステーション・コンセルジュ東京」が設けられていることは、さすが日本の中心駅の印象を強く感じさせます。
また、このクロークは冷凍品も預かる、接客式であることは大いに価値がありそうです。今後はこの様な施設が東京駅以外の主要駅ナカにも欲しいものです。
 今回驚いたことにJR東はテレビでもこれらの「エキナカ」の宣伝を入れていることです。
今後も次々に施設を作る計画とみられ、中央線の三鷹駅にも今工事中の様子であり、JRもこれから商業資本に仲間入りしそうな様相です。

茂木 記

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10月18日 葵流通会・総会・懇親会

 10月18日(金)に市ヶ谷アルカディア3F富士の間において、第6回総会・懇親会が催されました。今年が会の発足五周年にあたり、また母校の創立者大倉喜八郎男爵の生誕170年と重なり、盛大な会にしようと早くより幹事会において企画を進めてきました。そこで、新しい会の方向を考えて下記の考えのもとに計画が練られました。
その1が、この会の前にアルカディアにおいて、大学の理事会が持たれるようにお願いし、それが実現して大学理事・学長・副学長・学部長・教授に参加していただくことになりました。そして、理事の一人である創立者の曾孫である大倉喜彦氏もこの催しに参加して頂きました。
その2が、女性のパワーに焦点を当て、講演・進行等に活かそうとの考えです。
昭和時代に在学したOBの方々には想像が出来ないかもしれませんが、現在キャンパスには約30%の女子学生が在籍しているのです。
その3は、今回の催しにおいて今現役で活躍中の幹事の方々を中心に運営をお願いすることでした。
 今回の参加者は流通会OBが82名、来賓14名、学長・学部長・教授ほかの大学関係者24名、在学生約100名と200名を超える盛大な会となりました。
 司会は若手の吉田寛氏(昭56卒)が担当して総会が始まり、岡本美彦(昭23年)葵流通会会長の挨拶に始まり、村上学長の話が続きました。その中でこの9月の卒業式までの本学の卒業生は9万9千人を越えたとのことでした。
 続いての記念講演では稲取温泉観光協会事務局長に、今春の公募に1281人の中から選ばれ就任された昭和55年卒の渡邉法子さんの「私のチャレンジ・稲取温泉観光再生への道」と題した話を傾聴しました。
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                   渡邉法子さんの講演
彼女が就任後知った実情や、その限られた条件の中で如何に知恵を絞り、町の人達のボランティアを募集して、旅館業に関係の無い農業の方、大工さん、主婦の方々等50数名の参加を得て3つのプロジェクトを立ち上げ、新しいアイディアを実行に移すまでこぎつけた過程を熱く語り、そのアイディアと実行の熱意には圧倒させられるものがあり、さすがに1281人の1番を得た女性のパワーをOBも学生も肌で感じました。
このプロジェクトとは次の4つです。
(1) 楽しみ・感動プロジェクト
(2) 癒し満喫プロジェクト
(3) 歴史・ロマン体感プロジェクト
(4) 「こらっしぇ」稲取発信プロジェクト
これらを推進するためにも稲取温泉合同観光会社の法人を設立したとのことです。この様な短い期間に良くぞこれだけ次々と行動し実行しているものと感服しました。
 続いての懇親会では、新見邦由氏(昭45年)と鹿野桜さん(平13年)の進行で、毎回参加の衆院議員木村隆秀氏(昭53)、葵経営者クラブ会長瀧本良吉氏(昭29)の挨拶、乾杯は吉田寿和氏(昭41)の発声で始まりました。
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                学生との話しに応対するOB
OBたちはお互いの懇親はさておき、積極的に話しかけてくる学生との名刺の交換がなされ、今後相談に乗ってくれるOBを知るチャンスとしてアプローチする学生の応対に追われていました。また、今年内定が決まった8名の相談会に参加した学生達の簡単な体験談の発表がありました。
 実は今回初めて校歌斉唱をスケジュールを入れたのは、今の学生諸君が歌えない人が多いとのOBたちの心配があり、歌う場を設けるべきとの趣旨で、体育会OBの奈流芳捷一氏(昭42)のリードで校歌を歌い、野口悦功氏(昭49)の閉会の挨拶で閉会となりました。
今回の運営にあたり、出来るだけ学生・OBとの話が出来る時間配分をするかに努めましたが、終了時間になり大きく定刻を過ぎても暫く話が続いている程の盛会でした。

                                      茂木   記
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母校創立者 大倉喜八郎生誕170年

10月18日(木)に開催される葵流通会総会・懇親会において、創立者の曾孫にあたる大倉喜彦氏が理事として参加されます。
創立者と校名の変遷について掲出します。
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                     常任幹事会 幹事長     島田 茂
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原宿、ファッションタウンへの変遷

 今日では原宿の町は誰にでもファッションタウンとして認められているが、その原点は意外なところから始まったと、近くに往時住んでいた私の目には映ってくる。そして、その後ファッションビジネスに身を置くことになった私は、いつもその変遷に注目してきた。
 私は最初、原宿の直ぐ近くの渋谷区神宮前に住み始めたのは、今から50年前の昭和32年(1957年)のことである。その頃、駅より地下鉄の明治神宮前までの通りは、今は直径が50センチを越えるような欅の街路樹が直径15センチくらいの幹で、樹高は5メートルくらいであったのを記憶している。
現在の代々木体育館の場所や、NHKを含む代々木公園全体は、今の明治神宮の広さより更にに広く、その全部が米軍(占領軍)の住宅用敷地であり、鉄条網に囲まれたそのゲートには米兵が見張る「ワシントンハイツ」基地であつた。外から見るとペンキで白く塗られた米軍宿舎がゆったりと配置されていた。(最近聞いた話では戦時中は陸軍の練兵場であったとの話しである)
 昭和35年(1960年)私は大学生の時、日本通運で通訳兼書類作成者として米軍の家族の引越しの仕事にアルバイトとして従事した。その頃は原宿のワシントンハイツの他にも、多くの基地があり、立川・横田・キャンプドレイク(朝霞)・ジョンソン(入間)・グリンパーク(武蔵野市)等があり、その間の米軍家族の引越しの仕事を週に数度していた。
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               オリエンタルバザーとディオールの店
その時の原宿通りには米軍の家族が沢山歩いており、(通行人の3割近くと思えた)その人達を対象とした店が多く、婦人のシルクの洋装店・仕立て服の「テーラー・リー」(中国系)・クリーニング店・日本や中国の骨董店「オリエンタルバザー」(今も有る昔と同じ店です)や中華料理店等でした。現在の竹下通りは八百屋・魚や・寿司屋・そば屋などしか無いファッションには無関係な静かな通りであった。
 この米軍基地も昭和39年(1964年)の東京オリンピックの時に選手村として使用するために日本側に返還されて宿舎ははキャンプドレークに移転した。
昭和40年代になると駅前に立派なオリンピアアパート等が建ち、高級レストランやティールームが出来、坂下の交差点にはセントラルビルが出来て街が賑やかになつてきた。
昭和48年(1973年)に東郷神社に隣接して「パレフランス」が出来てヨーロッパの高級ファッションビルが進出し、続いての昭和53年(1978年)に「ラフォーレ」の出店が原宿をファッションのメッカとして注目され認知され始め、
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                     ラフォーレ
地方からの高校生が東京への修学旅行の自由時間に1番行きたい街となってきた。この50年代には婦人・ティーン・子供服店が多くなり、この街の周辺にはそれらのマンションメーカーが急速に人気を集め成長していった。
バブル期の昭和60年代(1985~1990)を過ぎると、マンションメーカーが衰退して今度は資金力がある海外のブランドが地価の低下を機会に一気に進出を始めた。
それに伴い古い建物は取り壊され、新しい優れたデザインのコンセプトビルが建ち、世界のトップブランドが集積されていった。それまで原宿の通りのイメージを下げていた同潤会アパートが新しく「表参道ヒルズ」となり、これで街が完成に近づいた。
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                    表参道ヒルズ
 原宿駅より表参道を歩くと、右側にはラコステ・オリエンタルバザー(ずっと以前よりの骨董店)・ランバン・ディオール・バーバリー・ポールスチュアート・ミッソーニ・ルイビトン・エンポリオアルマーニ・マックスコー・ハナエモリ・グッチ、246号通りへゆくとタルボット・ブルックスブラザース等々があり、左側を歩くとポロラルフローレン・ベネトン・マリナリナディ・フェンディ・セリーヌ・ダナキャラン・ローヴェ等の他にも表参道ヒルズの中に多くのブランドショップが集積されています。
今回歩いて気付きましたが、パレフランスは取り壊されて23階のビルに立替中であり、また原宿駅前に山の洋品・用具の店「山専ICI」というICI石井スポーツの都内一イメージの高いと思える大きな店が出店しており、この街の客層の中でどれ程受け入れらるかは大いに興味を引く店であり、今後に注目です。
                                        茂木 記
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9月27日 常任幹事会

 10月18日の総会を前に、常任幹事会が大手町葵友会事務所の談話室で18:30より開催され、また健康を回復された岡本会長が1年ぶりに出席されました。
大学側からは経営学部の本藤準教授とキャリアーセンターの境野センター長以下スタッフの皆さんが出席され、OB側よりは岡本会長、豊生副会長、島田幹事長他の常任幹事が他多数の出席しました。
 今回の主要な検討事項は総会のスケジュール決定であり、その担当を若手の現役の方々に仕事で忙しい中ではあるが敢えて担当してもらう事としました。
前回の幹事会で出された方針を具体化するべく、総会での記念講演者にはこの春マスコミの脚光を浴びた、本学昭和55年卒の稲取温泉観光協会事務局長に1,280名の応募者の中からその座を手にした渡邉法子氏のお話を聞く事になりました。
 進行においても司会者の新見氏と共に鹿野さんがアシスタントとして決まりました。
当日は大学の理事長以下、理事の方々が多数の参加を予定されており、更に今年が葵流通会の五周年となることでもあり、我々幹事として多くの幹事企業関係OBの参加を推進することを申し合わせました。
 また、その席上キャリアーセンターの報告の中で、昨年の総会・懇親会に出席した学生76名の現時点の内定率は90.8%であり、正確ではないが一般学生の就職内定率70%弱と比べると大きな数字であるとの報告がありました。
我々の活動が効果を上げているとの見方もありますが、就職活動に熱意のある学生さん方が多く参加していたということでもあると考えられます。
それにしても喜ばしい傾向と言えるものであり、今回もさらに皆で盛り上げたいものです。

                                  茂木 記
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オープンキャンパスの就職状況説明会

 大学全入時代を迎えて、各大学のPRを目的としたオープンキャンパスが電車内のポスターなどで沢山掲出されています。当大学でも8月4・17・18日に8月の催しがありました。大学のホームページに依りますと、4日(日)には1,250名の高校生が来校したとの報告でした。
その催しの中で、受験の説明の他にも、卒業後の就職についての話がなされているのかを知ろうと18日(土)に大学に出掛けてみました。
 午前11時過ぎでしたが、国分寺駅の南口から制服の高校生が数人ずつ大学方向へ歩いています。キャンパスに入ると男女同数くらいでかなりの人数の高校生達が6号館1階で受け取った案内書を見ながら学内の施設を回っています。その中の1~2割位の人が親たちと一緒に来ています。父親の場合もありますが、母親のケースが多いようです。
 説明会の教室には入試制度と就職状況説明会の一緒の教室があり、そこで説明を聞きました。入試の話しに続いて30分をキャリアセンター長の堺野氏より、現在の大学の一般の就職の話し、就職しても3年後には35%の人が辞めてゆく現実から始まり、客観的な就職状況と今の若者の就職における価値観についても、同席しているご両親達にも判りやすい説明がありました。教室の高校生は最後までしっかりと聞き入っていました。
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それを聞き終えてから、経済学部の体験授業として、田島博和准教授の『広告とクチコミ・・・音楽CDの売り上げから考えるマーケッティング』の話しを聞きましたが60名くらいの高校生とその親御さん達が聞き入りました。
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 別棟の6号館の7階の大きな部屋では個別相談のテーブルが多数用意されており、多くの生徒が相談している姿が見られました。
 OBとしてオヤオヤと思わせることが1つありました。来校した高校生には、学生食堂の食事が無料で提供され、500円相当の定食が、6種類のメニューで2箇所の場所でサービスされておりました。新入学生の獲得競争がそれをさせているのでしょう。
改めて全入時代を実感することになりました。
                                        茂木 記
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戦後よりの小売業の縮図が見える街-吉祥寺

吉祥寺駅北口の商店街は、昭和30年代の初期から新宿以西ではずつと一番の商業地であり、今日でもその頃からの姿を温存している注目すべき街なのです。
私はこの町に昭和34年(大学1年)より39年まで住んでおり、往時の商店街を良く知っています。北口のターミナルは南北道路が出来てから40年代に出来ました。

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その北口の直ぐ前の一角に、今もハーモニカ横丁があります。これは戦後の闇市から続く商店街と思われ、通路幅は2メートルくらいで、間口も4メートルほどの店が密集していました。
昔の姿が今もそのままに残っている商店街は都内でも珍しいものと思えます。

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40年代に吉祥寺駅の南北を結ぶ道路が出来ると、車道であった道がアーケード通りの商店街となり、サンロードの名称で中心的な商店街になりました。その頃今の東急百貨店のところにオリンピックが出店して、商店街が西に広がりだしました。
続いてオリンピックが東急となり、伊勢丹百貨店が進出しました。バブル期の頃、大阪から近鉄百貨店が現在のヨドバシカメラのところに初めての関東地区進出をしたのです。
しかし、10数年の営業の後、業績が上がらずに撤退し、それに代わって三越百貨店と大塚家具がそのビルに入り営業を始めましたが、間もなく閉店して、今年の6月29日にヨドバシカメラの大型店が進出オープンしました。

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 各地の商業地には、今一番元気に出店しているのは総合電気の大型店です。7月13日オープンの池袋のヤマダ電機やビッグカメラ・コジマ、ヨドバシカメラ等がその代表です。
 このハーモニカ横丁を歩いていると、午後1時頃ですが女性が多い長い人の列があります。

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何に並んでいるのか辿ってゆくと「ステーキハウスサトウ」の看板があり、皆さんがメンチカツのパックを買っていたのです。1個150円ですが5個以上買うと1個120円です。買って帰りたいとも思いましたが、二人では無駄になりそうなのでパックも買わずに帰りました。
その隣の1.5坪くらいの小さな店にも並んでいる人がいます。その店の名は「小ざさ」であり、ようかんと最中で有名な店でした。
小売業に関心をお持ちの若い方は、一度この街を巡ってみる価値があると思います。いろいろと新しい発見があるでしょう。
                                          茂木 記


「闇市」の解説: 戦後、国の統制による正規の輸入食品など以外の食品は販売できませんでした。しかし、米軍の軍属などが自用品として購入した缶詰やビン詰・ビール・コーヒー・ウイスキーなどを日本人に横流しして、それらの闇取引の商品を売っているところが闇市なのです。英語ではブラックマーケットです。今の若い方には判らない言葉ですね。
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ダイヤモンドシティ・ミュー その後

 昨年11月18日に日産自動車村山工場跡地にオープンした、都内最大級のシッピングセンターとその後の状況を見学に6月1日(金)に出掛けてみました。
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 約14万平方メートルの敷地に、250メートルの一体の長い4階建ての建物に、核店舗として二つの大型店としてジャスコと三越むさしの店があり、それをつなぐ中心部分には180の専門店・レストラン・シネマシアター・アミューズメントプレイス・サービス施設・ケンネル等の施設を擁する広大な建物で、4階部分は全部自走式の駐車場となり、屋上部分も駐車スペースである。
建物の周囲には駐車場が広がり、4000台のキャパシティとあるが更に自転車やモーターサイクル用の2000台の駐輪場も備えている。平日であったこともあり、屋内駐車場にはかなりの割合で入ってはいたが、屋外は2割程度の利用で空き地が夏の日差しに暑く焼けていた。
 客は平日を勘案するとかなりの入りで、ジャスコの食品に多く、通路の広い買いやすい売り場で、イートインの場所もあり、オリジン弁当まで入り口近くにある。レジ台は20ブースあり、8ブースが稼動していた。
専門店部分も充実しており、レストランは昼食の時間帯であったこともあり、入り口で待っている人もいる程である。特にアイスクリームの店は若者中心に20名程も並んでおり、別の位置にあったお茶の専門店の抹茶のアイスも人が寄っていました。
一方の端の三越百貨店は中年以上の客たちであり、その食品売り場もバライティーに富んではいますが、ジャスコのそれと比べると量感がかなり劣ります。そしてレジもスーパー式で4台が稼動していました。
 当日の客層を施設全体でみると20・30代の女性中心の客層と、幼児を連れた女性がおじいちゃんおばあちゃんの財布を期待した3世代という地元密着の客が多い様子でした。
 この敷地に隣接して、こんな大きな施設がまだ2・3出来るだけの空き地があり、今後更に周りの取り付け道路が改善されれば、更なる人気を呼ぶことでしょう。
しかし、現在は休日にここへと至る道路は大変混雑して、近隣市町村から車で行くのは大変問題があるというのが近くに一般の人の言葉でした。道路の工事はまだ進んでいる様子なのでこれに期待しましょう。
 ところで、ここを訪れた折に、大学の村山校舎に立ち寄りました。当日は一般の学生の体育の授業はなされていない様子でしたが、野球のグランドへ行くと13・4名の学生がリーダーの学生の指示で軽いトレーニングで走っています。その中の一人が私に気付くと、礼儀正しく挨拶をして近づき、監督が居りますのでと、練習場の近くの小部屋へ案内してくれて大橋監督を紹介してくれました。一部へ昇格の入れ替え戦の勝利を期待するOBたちの言葉を伝えました。
 少し時間をかけて100周年の時来てより初めてのキャンパス内を全部回ってみました。
そこは総て整備・整理がなされており、芝生も雑草のないゴルフ場の様にきれいに刈られています。さらに、空き缶・空きペットボトル・食べかす・タバコの吸殻等何ひとつ無く、大変感心しました。これからもこの状態が続くことを期待しています。
                                          茂木 記
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