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東京経済大学 葵流通会
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東京経済大学卒業生の流通関係の仕事に就いている方々のOB団体。会員相互の情報交換や在校生の学生達の就職に関する相談も行っている、大学承認の業界別組織。
百貨店・チェーンストア・フランチャイズストア・卸売業・商社・アパレル・アパレル製造、等の幅広いOBの参加を歓迎しています。
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ギンザシックス

2017/06/12 16:00
 この4月20日に開店した「ギンザシックス」を、もう見学者が減った頃と思い、初めて訪れてみました。
松坂屋の跡である「シックス」は、その一角が銀座6丁目であることから名づけられた名称と考えられます。昔の百貨店からどの様な商業形態に変ったのかが大変気になっており、その視点から店を見て来ました。
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銀座通りに面しては2個所の大きな開口部があり、店内に入ると、今までの百貨店で有った時には直線的な通路が有りましたが、今度の建物では通路は直ぐに突き当たる形状で、昔の私が育った城下町のような配置で、その突き当たりに海外ブランドの大きなショップが配置されています。
そして、商品は専門店特有の少ししか出ておらず、客が商品に関心を示した折に、後方から持って来る様子です。
 一階はほとんど一流の世界のブランドばかりで、ディオール、セリーヌ、サンローラン、ヴァレエンチノ、フェンディ、ウェニーニ、ルラボ、ロエベ、ジャガー・クルト、ショパール・ブティック、モワナ、メゾン、ダミアーニ、フレッド・フレッド・ブティック、などで、シティズン、スターバックスコーヒー店などが有りました。
二階は同じくヨーロッパの有名ブランドのショップです。バーリー、セルジオ・ロッシ、ミミ、マノロ・ブランク、ベルサーチなど多彩です。
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三階よりは建物の中央部が吹き抜けとなっており、五階まで空間が広がっています。その空間上部にはバルーンふうの草間弥生の赤と白の大きな飾りが沢山有りました。
そこには、ケンゾー、モスキーノ、ヴァレンティノ、等々、やはり外国のさほど名前の知らないブランドです。
四階になると日本のブランドが多く入ります。セオリー、ビームス、ポールスミス、中川政七商店、玉川堂等のファッション外のショップが目立ちます。
五階は同じくファッションとライフスタイルに関する日本的なものが多く有りました。
六階は蔦屋書店が広い面積を占め、本の陳列の方法が普通の書店とは全く違う展示をしていました。他の店は殆どがレストランで、広い鮨処順」があり、和食と洋食が揃い、お値段は昼食で5,000円というところです。
 地階はB1、B2が有り、B1はコスメティックが中心です。
B2は食品と食堂であり、世界のワイン、日本酒の地酒のみのショップ等、或る売り場では荻野屋の峠の釜飯が売られていました。ちょっと驚きでした。他にはフルーツやケーキが多く、よく売れていました。目に付いたのは本物の果汁を使ったアイスキャンデーがあり、1本600円で売られていましたが、大変美味しそうな種類が沢山ありました。
しかし、それを食べながらエスカレーターに乗っている子供達が居ましたが、これは店の中を汚す問題になりそうです。
 このビルは松坂屋が中心で建てたものですが、B2〜6Fは商業ビルですが、7F〜12Fは事務所として貸し出されており、13Fはレストラン階となっています。
松坂屋は事務所の固定収入を賃貸料で大きな収入を得る目的があるのでしょう。


茂木 記



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中国人の旅行ケース

2017/03/24 11:59
 3月の初旬に銀座通りを4丁目から7丁目まで歩いてみました。その目的は7丁目のサッポロ・ビア・プラザに行き、3月11日に予定されているチャリティー・コンサートの演奏者の方々の演奏を初めて聴いてみることでした。
シートチャージが今回はかなり高く、3,500円です。ビアプラザでもあり少し寒い日でしたが、ジョッキのビールでピザ等を頼み、ツーステージの演奏を聴いて9時ころに店を出ました。早い時間に銀座へでたもので表通りを歩いてみました。雨の日であったので歩行者は少ないようでしたが、中国人の団体客が目に付きます。
しかし、彼らは以前の爆買いの時代と大違いです。以前の中国人は1人で2個の大きな旅行ケースを運び、それを両手で押しながら歩道の真ん中を行き来していました。そして買った荷物を道路上でケースを横に広げて中に収めている見て、これら化粧品やその他の品を中国国内で転売するのが目的であったようです。しかし中国の税関が税金をかけることになりそのメリットが無くなってしまったのです。
 銀座の街は6丁目の松坂屋跡地の「銀座シックス」の4月の開店に向けた準備中の囲われた店先が目に入ります。4月のオープン時には是非見に行こうと考えています。百貨店の次の商業形態がどの様な方向を考えているのか、注目してゆきたいものです。
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葵流通会 役員の改選

2016/12/30 12:49
 11月4日(金)に市ヶ谷のアルカディアに於いて、葵流通会の総会・懇親会が行われました。そして、その会場にて第2代会長の新見邦由氏、右澤信一幹事長が退任し、新しく第3代会長として吉田 寛会長、増田辰夫氏、馬場章夫氏、増田直樹氏が副会長に就任し、和田和義氏が幹事長に就任しました。
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                           吉田新会長の就任挨拶
新しい会長の吉田 寛氏は(株)三越伊勢丹にて人事畑を担当してきた方であり、この会を纏めるには最適任と言えるでしょう。
若返りした役員諸兄の今後の活躍を会のOBとして願っております。

                      茂木 記
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POSによる単品管理(島田茂氏 ファッションの伊勢丹史)

2016/10/10 17:58
 1967年6月、3階(紳士・婦人服フロアー)の内、婦人既製服部門に絞ってNCRのNOF52号レジスターを16台導入して単品管理(洋服を1着ずつ管理)に着手した。
詳細に機械化して商品動向を掴みリスクを軽減し、利益と生産性向上を狙ったものであった。専属のレジ係りが手打ちで13桁の情報をインプット、端末データはバイヤー室で紙データとしてアウトプットする方式であった。
13桁の分類内容は品番(4桁)、クラス(3桁)、アイテム、取引先、スタイルナンバー、価格に分類されていた。データは日別、週別、のベストセラー、ワーストセラーが単品で把握出来るのでアイポールコントロール(目で確かめる)との確認で商品動向を全員で掴み、すぐに次のアクションに移ることが出来た。また、このシステムによってショップ別売り上げ・在庫・仕入れ・利益を係数管理と運営が進むと商品回転率と利益率の向上が結果となった。
この時代、ベストセラーを少数のデザイン、カラー、サイズ、素材に絞り込んで欠品を防止することによって大量販売が可能であった。プログラムに入っていないサイズデータはこの時期にはハンドワークであった。このシステム情報をアパレルと共用することで婦人既製服の発展と効率化は促進されていった。
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新宿の高速バス乗場「バスタ新宿」の出現

2016/07/20 16:38
新宿南口前の4階の大きなビルに思わぬ大きなバスターミナルが出現しました。流通と直接関係はありませんが、是非皆さんに一度足を運んでみて貰いたい施設です。
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 今年の4月4日にこの「バスタ新宿」の名称で新宿南口のJRの線路の上に人口地盤を作り、ビルが出来ました。そして、そのビルの4階にバスターミナルが入り、下の3階はタクシーのターミナルや1・2階はレストランなどです。
建物の外側についているエスカレーターで4階へと上がってゆくと、そこに思わぬ広い吹き抜けの空間があり、そこがバスタとなっています。バスタとはバスターミナルの縮語と思われます。
この施設が出来て新宿西口の大きなビルの前より発車する高速バス停が整理されると共に、今までより広い地域へ向けてのバスが新しく発着するものと期待していました。
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それを調べてみますと、118社、1625便が毎日出ており、青森、秋田、宮城、長野、山梨、静岡、新潟、金沢、富山、福井、福岡、高知、愛媛、香川、山口、鳥取、和歌山、奈良、岐阜の各都市を結んでいるのには大いに驚きました。
このバスタの設備は自動発券機や発車時刻の大きなモニター画面などが空港の設備と同じようで、待合室やトイレ、化粧室等は空港を少しレベルダウンしたものでした。また行く先の各方面は色分けで分かれており、迷うことはなさそうです。
この施設はゆくゆく人気が出て多くの人が利用するようになることを確信しています。一度見学してみてください。

                     茂木 稔
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銀座東急プラザ

2016/05/01 21:23
 3月31日にオープンした銀座東急プラザの見学に4月27日に行ってみました。開店一ヶ月近くになり、見学客の落ち着いた平日を選んで行ったところ、まだ開店の賑わいは続いており、中年の女性が多く、男性も中年が中心の構成です。
この立地は昔は水のある数寄屋橋を渡った橋のたもとであり、この新しいビルになる前は東芝ビルであり、阪急百貨店が入っていたビルです。今度の新しい建物はかなり目を引くデザインですが銀座にはふさわしいものと感じました。
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 建物の1階には銀座の歌舞伎町通りに面してスイスのバリー社の広いショウルームと思える店舗が広がっています。チューリッヒのバリー本店には、私は40年くらい前に訪ねましたが、その頃の店は6階くらいの中型の店でした。今はどのように変わっているかは知りませんが、日本橋の丸善本店くらいでした。
このビルの入口はソニービル側にあり、1階からの店外エスカレーターが3階まで直接昇っており、見学者の人々はそのエレベーターで店内に入って行きます。
その下層階は上質な婦人のファッションです。全体の印象では一般のファッションショップに有るようなブランドは少なく、全く新しいブランドが目に付きます。4階より上の階では各階に大きなティールームがあり、それぞれ個性的で女性客で込んでいます。5階もファッション中心であり、6・7階には日本ブランドの生活用品があり、最近の傾向で地方ブランドが元気です。
8階9階はロッテの化粧品と時計・ジュエリーのデュティーフリーショップですが、広い売り場には客はほとんどおりません。この東急プラザの立地は銀座のメインストリートの端にあるので、中国人や他の外国人客はほとんど来ておりません。
10階11階はレストラン街でどの店も多くの客が入っており、私の訪れた時間は2時台でしたが、有楽町の数寄屋橋の立地が良く合っているようです。
私はこのビルの7階にソニービルの中より移転してきたソニー系列の通信販売会社のショウルームのライトアップのコーナーに注目しました。ソニービルでは何階にも分かれており、買い物の面白さはあったのですが、おそらく人員効率が低くなり、その点を見直してこのビルに移転してきたものと思われました。
このビル内のショップではかなり地方の店が多いことと、ファッションブランドも今までのメージャーのものではない点が多いことが特徴でした。新しい方向性を目指している点は大いに評価できるものでした。
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ららぽーと立川立飛

2016/02/04 20:10
 12月12日に立川駅よりモノレールで2つ目の駅前にららぽーとが開店して1ヶ月近くなり、そろそろ混雑も過ぎたとであろうと、家内と共に1月6日に行って見ました。今までオープンしたららぽーとは、ほとんどの店に開店1ヶ月以内に訪れており、それらは横浜、新三郷、などですが、このブログに直ぐに記事を載せました。
今回訪れた立川は、JRの立川駅より更にモノレールで二駅行かなければならず、店は駅の前ですが不便です。またモノレールは片道210円もします。その施設以外には何も無く、新三郷ではコストコが近くに有ったのとは大違いの立地です。
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 立川駅より11時頃にモノレールに乗ると、子供連れの主婦たちがかなりの人数で、乳母車が多数で乗り込みます。皆ららぽーとのある駅で降りました。駅よりはデッキで繋がっており、なかなか立派な3階建てのビルが目に入ります。構内に入ると広々とした通路がまっすぐに続いています。路上駐車場では意外に車が少なく、全体の2割くらいです。
もちろん土日では埋まるのでしょう。一方駐輪場では8割位も自転車が止めてありました。
 個々の店はと見ると、ほとんどの店がナショナルブランドの店であり新鮮さが全くと言ってありません。3階より回り始めましたが、1階までゆっくりと見て周りました。
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飲食店がワンフロアーで纏められていないで、各階に別れているのが少し新しいものでした。横浜店に有った木工や金工の自分で行う趣味の加工室などはありませんでした。立川地元の店もほとんど見あたらなかったと思います。私の目から見て新鮮味に欠ける大型店でした。
しかし、その設備は優れており、中高年をかなり意識した店の作りとなっています。広い通路の真ん中にはちょっと腰をかけるストールがたくさんあります。また、手洗いはゆとりがあり、子供用のそれは通路から一番近くにありました。
一般客は立川駅から行くと思えますがモノレールの料金の往復420円が大きな鍵を握っているような気がしました。
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第92回箱根駅伝 関東連合に吉村匠君選出さる

2015/11/15 14:16
連合チームの中で8番目の記録を出しており、その上位16名が選出されています。来年の箱根駅伝で吉村君が走る姿が見られるかもしれません。
是非OB/OG皆で応援しましょう。また、往路・復路、10名の正式選手名は12月29日に発表予定です。正月2日、3日には皆さまの熱い声援をお願いします。今、母校大学、陸上競技部、陸上競技部OB会(葵競会・きそうかい)が東京・箱根間の沿道応援体制を準備しています。尚,同君は西川産業に就職が内定しています。

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ファッションの情報収集

2015/11/03 11:37
 ファッション情報収集を目的に「資料室」を併設した。資料室の発展はレナウン研究室金堀窪勝朗氏の助言と協力があったと山中氏が後日語っていた。この資料室にマリークレール、ヴォーグ、バザー、セブンティーン、マドモアゼル、グラマーなどの欧米の雑誌、新聞を揃えた。
既製服メーカーのレナウン、オンワード、東京スタイル、花咲、吉田レディースなどとは試作服を通して機能面でのパターン、裁断、サイズの研究と開発、の取り組みも進められた。その後、これらに加えてアメリカで既に行われている情報・物流システム導入を共通事項として研究し進行してきた。
 伊勢丹は既製服メーカーと他の百貨店と行動を共にして1963年・昭和38年、「婦人服統一サイズ」の発表に至った。
その前年春夏シーズンに婦人既製服バイヤーはレナウンのギンガムチェックを大量に使用して研究所のデザインで、20パターン、サイズ(7、9、11、13、)を揃えて販売し、既製服販売のトライをして確信を得ていた。
同年、2名のバイヤー(坂入弘一、藪下純)はアメリカの既製服業界の実情調査にニューヨークのアパレルメーカーと百貨店視察に長期出張を行った。彼らは7番街の「ファッションハウス」と呼ばれるホールセーラーやメーシー、ブルーミンングデ‐ル、サックスなどの百貨店を回り、帰国後の報告ではアメリカの婦人服に比べて日本の既製服は非常に遅れており学ぶ点が多々あると述べている。
デザインはむろんのことパターン制作の重要性を改めて認識して、日本の取引先メーカーに対しても技術者を渡米させて研修の機会を持つ必要性を強調した。
 1968年、伊勢丹はレギュラーサイズに加えて「大きなサイズのレディークローバー」ショップ、小さいサイズの「ストロベリーショップ」が揃い「サイズの伊勢丹」確率された。このようにして既製服の工業化への役割を果たしてきたのである。
婦人服メーカーがイージー一辺倒のなか、樫山はパタンナー石橋氏の活躍で伊勢丹はオリジナルパターンの生産で取り組みを行った。東京スタイルとは高野義男氏(後の社長)が研究室へ度々来訪されてイージーから既製服の生産体制やオリジナル商品試作に取り組み実績を築いていった。

島田 記
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スーパーストア福島屋

2015/08/13 18:05
 テレビ東京の夜10:00より「カンブリア宮殿」という番組が放映されています。
この7月30日に放映されたものに羽村市の「福島屋」というユニークな小型スーパーの話しがありました。
数日後に、大学のOB会誌「東京経済」の元編集長の松田周三さんよりメールがあり、その放映されたスーパー福島屋の会長は、当大学の昭和49年の卒業生である福島徹氏であり、自分が編集長であった折に、昭和33年卒業の曽根春海さんより、スーパーの卒業OBが居ると聞いていたのですが、取材をする機会を失い、そのままにしてしまったとの話しがありました。大変興味深い話であったので、私も自分で見てみようと思い8月11日に出掛けてみました。
 羽村駅より店までは歩いて8分ほど掛かりました。その立地は近くには他にお店は無く、あまり好立地とは言えません。しかも店の広さは小型スーパーというところです。
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駐車場はそのスーパーの周りと、かなり幅の広い道路を挟んだ反対側に姉妹店の「ファンタス」の店に、より広い駐車場があり利用できます。
 平日の11:30頃に店に入りましたが、かなりの客が店内にいます。レジ台が5台あり、4台が稼動していました。店に入ると先ず果物・野菜が右手に配されており、左手には揚げ物・弁当がその後ろのキッチンで出来たものを直ぐ出して売っておりました。他にパン屋のキッチンもあり焼けたパンを並べています。
野菜は拝島生産の無農薬のなすやきゅうり・とまとなどが有りますが、トウモロコシは200円と福島産の契約栽培と思える畑の人の顔が見える並べて有りました。野菜や果物は皆無農薬のものばかりであり、値段は少し高いものばかりです。
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奥に進むと魚と肉のコーナーがかなりの広さで有りました。一番手前にはたらこの大きくて美味しそうなものが冷蔵ケースに広く展示されており、その生産者の北海道の地方の加工工場の名前と特徴が目立つように表示されております。更に奥には乳製品の売り場があり、チーズ・ヨーグルト・牛乳が有りますが、ナショナルブランドの製品は一つも有りません。
それらは殆ど北海道の無名の工場で作られた物ばかりです。牛乳もどれも名前を聞いたことが無いないものばかりです。しかしそれらはその生産者の細かな説明がついています。
 次に醤油の棚をみてみました。これらも全くと言って知っているブランドは皆無であり、秋田の物や福島・岩手のもの、鹿児島や三重の物など小さなメーカーの物ばかりが少しずつ有りました。
インスタントラーメンはどうであろうかと棚をみて見ると、そこには僅かの種類と数しか並んでいません。それらは「富山白えびラーメン」218円、「奈良天理醤油ラーメン」227円、「ガバスカップ味噌ラーメン」222円などがあり、ナショナルブランドの商品は全くありません。しかも、このガバスカップとはプラスチック・スチロールの容器では無く、砂糖きびから出来た自然崩壊されるエコなカップを使用しています。商品ごとに並んでいるのは5〜7個くらいしかありません。
お菓子の棚を見るとこれも皆紙袋かビニール袋に入っている物が多く、地方の菓子メーカーの物ばかりで、メーカーが同じ物は殆どありません。それらもプラスチックの皿に入って多く見せる様な細工はなく、袋のみの包装です。大変目に付いたのは出汁をとる鰹節の削ったものでした。それらは厚削り、薄削り、花削り当各種があり、更にいわしの煮干が小さな青森の煮干、静岡のいわしの削り節、九州産、四国産など色とりどりがあり、主婦の方には好評を博している様子です。また、その価格全品は外税となっていました。
これらも包装は簡易で、ビニール袋のみに直接入れてあるばかりです。
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 気付いたことはエコロジーに対する意識が非常に高く、不要なごみを出すことを極力避けているということです。過剰な包装の品は全く有りませんでした。
 店の外の道を挟んだ反対側に「ファンタス」という姉妹店があり、そちらでは酒類と業務用の肉や野菜、お米、フルーツ、料理用原材料を売っており、かなり広い売り場ですがこちらは客は殆どおりませんでした。
家に帰ってパソコンのホームページで調べてみると、その本店の周りに幾つかの関連の店があり、和食ブッフェレストラン「四季菜」、イタリアレストラン「ゾナボーチェ」、ケーキの店「KURU MARU]等が、あることが分りました。
また、立川店も地図で調べてみますと、立川駅から3キロくらい離れた所にあることが判明しました。他に六本木に有るそうですが、一寸見に行くには遠そうです。
 今回気付いた点は、スーパーとしては全くユニークで、安い商品を売るのではなく、高くても安心できる、店が自信を持って推薦できる物だけを扱い、棚の商品が欠品していても、その商品の説明のある所は、欠品中としてその空間は空けてあり、その商品が人気商品であることを証明しているのです。
兎に角、その商品に対する考え方、エコロジーに対する取り組みは感銘を受けて帰路につきました。

茂木 記
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銀座昨今

2015/05/18 21:21
 銀座ソニービルに行く用事があったので、その足で銀座を4丁目交差点より7丁目まで見てきました。平日の午後1時頃でしたが、人出はかなり多く、以前の銀座の人出の感じが戻っています。歩道の脇の植え込みにはパンジーやらきれいな花が植えられており、5丁目あたりからは3メートルくらいの針葉樹の植え込みも作られています。
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5丁目の松坂屋のあったところは、今は工事用の塀に覆われて大々的な再開発のビルの建設中で、沢山のクレーンが立っていました。
買い物客の半数くらいは外国人の旅行者という感じで、何と言っても中国人の団体客です。
化粧品の資生堂の店では中国人の客が沢山おり、大きな赤い旅行鞄が店の入口に10個近く並んでおり、その店の前の路上の真ん中では中国人の男の人が旅行鞄を平らに置いて開けていました。中国人の他にはインド人が目に付きました。しかし、インド本国の人ではなく、マレーシアやシンガポールからのインド系の旅行者と思えます。その人たちは団体ではないようでした。またタイからの団体客もいましたが、中国人の団体の様には大人数ではありません。ムスリムのスカーフをつけている女性もおりますが、多分マレーシアからの方でしょう。資生堂を筆頭にユニクロやおもちゃの博品館には沢山の外国人で、日本人の方が少ないようでした。
この記事では「東日本震災1ヶ月後の銀座」と言うという記事が書いてありますが、銀座の表通りは外国人多いのですが、裏どうりに入り交詢社のあたりに来てみると日本人が多く見られました。
兎に角円安が進んだことで外国人の観光客が多くなったのは喜ばしいことと思えます。


茂木 稔
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服飾研究室の具体的研究項目は「サイズと色」

2015/03/18 19:51
 1957年、服飾研究所を新設した。「サイズと色」と「素材」の研究開発であった。サイズの開発は体の各部分のサイズの収集から始めた、研究室の設立前の1953年イージーオーダー受注表からデータを収集して蓄積していた、これを最新の会計機で集計、分析してそれを御茶ノ水大学や服飾系大学の協力で統計して統一サイズを割り出していった。
 上記のサイズを元にデザインからパターン(型紙)を作成する。日本にはパターン作成技術者が育っていなかった。これも課題となった。研究室はパタンナー(型紙作り)の養成に着手した。パターン作りと縫製技術の勉強のために研究室スタッフを研修に2名ニューヨークへ派遣した。
アメリカへ留学させ帰国後、メーカーへ派遣し、次回の渡米時はメーカーの技術者も同行して研修を重ねた。そしてそこからサイズを大きくしたり、小さくするためのグレーディングの出来る専門スタッフを揃えなければならなかった。
素材開発はイギリス、フランス、アメリカから生地やカラーサンプルを取り寄せて、輸入した服を分解してカッティングや縫製について追究した。カラー展開は国内繊維メーカーと連携してカラーキャンペーンを展開していった。

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なぜ服飾研究室を設立したのか

2014/12/31 17:16
 設立の要因は小菅利雄氏が欧米視察の時、米国の既製服の生産体制やシステムの現場を見て、日本の既製服の遅れに疑問を持った。また戦後の後発百貨店として独自性を発揮するためにファッションを選択し勝負をかける決意決意がうかがわれる。その具体化が服飾研究室の設立である。
 日本の既製服化を早い時期に予測出来たのは店舗の接収は建物内の人的交流を通じて米国の新聞、雑誌なども見て米国事情を吸収して行ったと思われる。米国人の生活を毎日見ているわけであるから学ぶことも多かった。
 第3はレナウンをはじめ取引先との協力である。レナウン・尾上清理事長は伊勢丹・小菅利雄の義兄で伊勢丹二代丹治社長は義父の関係であった。伊勢丹100周年誌で利雄氏の妻悠氏は「夫が欧米視察から帰国し、連日、父(二代丹治)と夫(3代丹治)、それから、その頃よく来ていた義兄(尾上清氏)の3人で、それこそ、夜明けまで、話は尽きませんでした」と語っている。
 このように既製服の将来について討議していたのであろう。
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なぜ百貨店が既製服の工業化へ踏み込んだのか

2014/12/31 17:14
 JIS企画の「婦人服の統一サイズ」という公的機関の発表以前に民間企業が国に先駆けて取り組んだ理由は何であったのであろうか。戦後の政府は基幹産業再建を優先して重厚長大を重視して輸出拡大の政策を先行した。既製服業界も行政機関へ申し入れる段階に至っていなかった。
 伊勢丹は女性の社会進出や生活の洋風化による顧客ニーズは直ぐ着られて、買いやすい価格の既製服を求めていることを見越していた。既製服とは「サイズとカラーを揃えることを強調し、科学的・合理的な商品開発や商品提供システムを作り、顧客の感性へ訴え掛けることがファッションの提案である」の確信を持って進んだのである。
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挑戦トップデザイナー16人のコレクション1959年

2014/10/21 11:46
 日本で初のファッション番組で、活躍中の一流デザイナー、芦田淳、安東武男、伊藤孝、伊藤ます子、伊東達也、伊東茂平、久我あきら、杉野芳子、鈴木宏子、田中千代、中林洋子、中村乃武夫、原田茂、宮内裕、森英恵、諸岡美津子の各氏が起用されて「日常に着られて、しかも美しい洋服」をテーマに毎回、新作を発表した。
後日、この番組制作に協力したデザイナー達が「バンデローラ」(風見鶏・ファッションの方向をいち早くキャッチする)というグループを結成した。
 イージーオーダーが人気の時代にこのトップ16人による婦人既製服コレクションが1956年10月本店7階伊勢丹ホールで開催された。当時、外国のファッションショーをほとんどの人が見る機会もなく大きな話題になった。私も後日この森英恵、伊東達也、宮内裕の各氏と接する事になり歴史を知る機会となった。伊東達也氏とはオリジナルプレタを通して成城のアトリエへ度々訪ねた。田中千代先生、杉野芳子先生は服飾専門学校理事長として多数の業界で活躍する人々を育て、日本人のファッション関心度を高めた、伊東茂平、孝、達也の親子は成城で永く伊東服装研究所を開校して後進を育てた。

島田 茂
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既製服への道、イージーの受注採寸データーの活用

2014/08/15 22:09
 イージーの受注採寸データーは新しい既製服のサイズデーター収集の基本となった。
日本人の体型のに合ったレギュラーサイズの開発と大きいサイズや小さいサイズ体系の確立こそ、日本の新しい既製服の根幹となると確信していた。
その対応のために1958年、イージーオーダーの発売以来大量に販売してきたイージーの採寸データー(肩幅、背幅、袖丈、身頃、バスト、ウエスト、ヒップ)を集計と分類を始めた。そのデーターは1958年までに14万例も達した。その膨大なデーターを同じ年に事務合理化のために購入した穿孔カード方式のレミントンランド統計会計機を使用してサイズの分類を行った。
 さらに御茶ノ水大学や文化服装学院の協力を得て分析に一層の正確さを期した。これらのデーターを分析して日本人女性の各平均サイズを割り出し、サイズごとの標準サイズを割り出し、サイズごとの標準パターン化を進めた。その結果、33年秋ごろまでには婦人スーツのオリジナルサイズが完成した。
 具体的サイズ開発には人体の採寸データーを収集した後に、既製服の工業用パターン(型紙をつくり)を作成する技術者が不足していることが問題となった。また、既製服メーカー各社ごとにサイズが異なっている重大な障害もあった。

イージーから既製服化へ活躍したデザイナーたち 既製服の時代に向けて大きな役割を果たしたのは日本のデザイナー達でもあった。1953年、民放TVが本放送を開始以来、伊勢丹は東京放送、フジテレビ、日本テレビで番組提供をしてきた、特に深くかかわるようになったのは日本テレビのファッション番組「僕と私のファッション」であった。
 伊勢丹OBインタービューで次のような話を聞いた。伊勢丹は毎週月曜日の昼0時15分〜40分「僕と私のファッション」を提供していた。伊勢丹の担当者は当日午前中にデザイナーの作品をテレビ局へ届けていた。作品の上がりは毎日朝ぎりぎりで毎回汗だくでスタジオへ届けたと語っていた。

                                 島田 茂
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国分寺・府中の駅前再開発

2014/06/19 20:08
 各地区の駅の周りの再開発はほぼ完了していると思えますが、今となって国分寺北口と府中の南口の大規模な再開発が行われています。国分寺北口は昔、昭和30年代は3寺とも呼ばれ、高円寺・吉祥寺・国分寺と栄えた街として呼ばれていたものです。
しかし、道路の狭い商店街は、バスの運行にも支障をきたす状態が続いていましたが、やっと昨年より工事が始まり、住友不動産が開発業者となり、32階と31階の高層ビルが2棟建設される予定であり、2018年に完成予想となっています。その再開発地区は実に広大で、昔からある三菱銀行の所まで広がっています。
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国分寺北口 再開発用地

 時を同じくして京王府中駅の南口の駅前より伊勢丹までの、戦後の狭い4m程の路地が広がっていた地区が全て取り壊され、今整理が進行しています。その改良区では1ヘクタールに及び、地上15階、地下4階のビルで564,00uのビルが立ち上がります。
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府中駅南口 再開発地区 奥のビルは伊勢丹府中店

府中の場合は駅の2階のコンコースより工事現場が良く見下ろせるので、多くの人達が何時も眺めています。国分寺の工事現場は幕で覆われていて残念ですが良く見ることは出来ません。
3年後には双方の駅前が素晴らしいものになっているのでしょう。大変楽しみです。
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立川イケア店

2014/06/01 16:28
北欧のスエーデンのインテリア用品大型店のイケアは国内に8店舗展開しております。都内に近い所では船橋店、埼玉三郷店があり、新しい店として立川店が4月10日に開店しました。立川店以外の店は最寄り駅からはかなり離れており、車で行かねばなりません。しかし、今回開店した立川店は立川駅より歩いて20分くらいで行ける場所にあるのです。
先日友人と共にこの店を訪ねてみました。駅よりは2階のコンコースを立川グランドホテルまで400m位歩き、地上に降りてモノレールに沿って歩くと大きな交差店があり、そこにイケアの建物が有りました。
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 店の中に入ると、2階が商品展示場です。そこには一人用の部屋のインテリア用品がセットされた部屋見本が、カラーの変化によって分かれて壁面にセットされています。その事例は20セットもあるでしょうか。次に二人またはそれ以上の家族用の居間やキッチンがセットされた部屋の事例がまた沢山出てきます。それらは皆かなり安いテーブルや椅子、ソファーなどで構成されており、若い方の部屋の印象でした。販売員はフロアには殆ど居らず、客自身が値段を見てそれらを用紙に記入して1階に持参して商品を受け取り清算するシステムで、人件費は今迄のインテリアショップの説明員が居る店とは全く異なっています。
ソファー、ベッド、テーブル、椅子、机などが本当に沢山の中から選べます。それらの商品群は木目の出た白木が多く、塗装されたものはあまり目につきませんでした。素材はとみるとテーブル椅子、机などでも高級品は全く無く、チーク材の家具や革張りのものは全く目につきませんでした。
それらの商品の価格は実に安く、二人掛けの布製のソファーなどは2万円台からあります。個々のインテリア商品も充実しており、キッチンウエアでは鍋、フライパン、ケットル、皿等が安く、ケットルは980円でした。展示物の中に太くて大きなロウソクが売られており、以前、冬の雪の日に停電があり、一晩中暗かった折に、大きなロウソクを2本点けて、大変役立ったことを思い起こし、その太くて大きなローソクを308円(後で清算)で買いました。
1階では清算レジと商品引渡し場がありましたが、平日の2時頃でしたが5台のレジに対して、各列に25人くらいが並んでおり、清算には15〜20分も待ったのが少し不満で残りました。
 そのレジ前に広いカフェテリアがあり、そこの代金はアイスクリームが50円とか、ホットドック等も同等に安い価格で売られており、女子高校生が沢山来ていたのが印象に残りました。
このカフェテリアにより、家族が楽しめる店としてアピールしていることが良く判りました。
皆さんも是非一度足を伸ばしてみることをお勧めします。

                          茂木 記
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イージーオーダーは利益の源

2014/05/27 15:55
  イージーオーダーはメーカー、百貨店にとっては利益の源となった。その利益は経営基盤を作った。イージーのシステムはサンプルを人体に着せて展示して展示して受注し、仮縫いなし、1週間仕上げでお渡しするシステムである。受注時に入金があり、メーカーで製品在庫を持つ必要もないというメリットがあり、欧米にない日本独特なビジネスであった。消費者に好評で1日の扱い高が500件を超える日が増えてきた。
 1957年、最盛期のイージーオーダー新任マネージャーの登用された坂入弘一(婦人服バイヤー)は山本部長から内示を受けるその時に、「いまイージーオーダーはピークでありが、君はイージーオーダーを発展させるのでなく、イージーをつぶしに行くのだ」と懐かしそうに私のインタービューに応えたが伊勢丹はその時すでに次の既製服時代への移行を考えていたのである。
 誕生から急激に拡大して約30年後の1980年代まで、販売が結果として次に来る既製服の工業化を遅らせた一因になったことも事実である。
 その要因は第1にイージーが日本人の「誂える」というシステムに安心感のある人気商品であった。第2に既製服の採算の見通しが立つ段階に至っていなかったので目前のリスクの少ないイージーを優先させる環境でもあった。
 百貨店も資金的に入金が先で在庫負担が少なく、回転率が高く、高い利益を生むビジネスに甘えたことが業界として既製服の発展に遅れた要因と思われる。
 第3に既製服の工業化の遅れた要因は日本の仕立て工賃がアメリカに比較して非常に安いこと、既製服の種類、特にサイズが非常に少なく、S・M・Lの3サイズしかなく、デザインのバラェティーも非常に少なかったことは既製服化が遅れた要因であった。
 逆にこの時期に利益を得た各社はアパレル企業発展の資金基盤となり、その中で証券市場へ上場を実現したオンワード樫山、東京スタイルの企業もある。
 日本独自のイージーとは、1っのパターンを顧客の受注採寸データーを裁断者が個人の独特の感と技術でアジャストして創り出す日本独自の技術であり、大量生産に適するものではない。このシステムに日本が安住したことがサイズ統一を遅らせて既製服化を遅らせた要因と思われる。
 1960年代はじめ、坂入氏はメーカー各社や大手百貨店へ統一サイズの協力依頼で訪問をした。この時点の各社は「統一サイズ」に対する温度差を感じたと当時を振り返って語っていた。賛同を得られたのが高島屋と西武であった。

                                                島田 茂
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1953年の秋、イージーオーダーがスタート

2014/05/14 15:34
 イージーオーダーは婦人既製服の一区画に僅かマネキン人形4体の陳列コーナーを設けてスーツとオーバーコートの型見本を着せて販売を開始した。今までのオーダーに近いということで1957〜59年にピークを迎えた。
イージーオーダーの全盛期にあったこの時期に、小菅利雄常務と山本宗二商品部長は「新しい既製服」の登場を見越し着々と準備を進めてイージーオーダーの採寸データの集計を始めていたのである。1950年、イージーオーダーは婦人服売り場から独立して5つのテーマを設けてデザイン数を増加し品揃えとサービスを進めるようになった。
イージーオーダーの5つのテーマとは:
 1. 顧客のサイズに近い洋服を作れる
 2. 顧客のニーズを受けることが出来る
 3. イージーオーダーでも既製服と同様な価格で求められる
 4. 仮縫いの日数をかけず1週間で出来上がる
 5. マネキン人形を使い、着た感じが注文前に分かる
しかし、当初はこのようなことが十分理解されず、売り上げは一向に伸びなかった。1954年春の卒業式、入学式のシーズンを経て夏物商品の展開に合わせてマネキン数を一挙に30体に増やしたところ、綿の白いツーピース、プリントのワンピース等中心に注文が急激に増加した。
 その後スペースも拡大し、マネキン人形数も50〜60体に増加した。1956年には従来の取引先だけでは縫製が間に合わず新しく各社の得意とする分野を尊重して縫製を委託した。
例えば、ヤングミセスのタウンスーツはオンワード樫山、レースのフォーマルウエアは吉田縫製、その他は東京スタイル、昭和ドレス、花咲、花村、に委託した。
 オリジナル洋服の生産は資金的に伊勢丹が支援した。生地を伊勢丹からイージーオーダーメーカーへ加工に出して縫製メーカーである吉田縫製、三光、保富が加工する。オリジナル商品のパターンは研究所からメーカーへ提供した。
 需要が高まるにつれて特色あるデザインが求められるようになり、日本を代表する5人のデザイナー伊藤茂平、宮内裕、葦田淳、久我あきら、小林秀雄氏らによる新作発表会を売り場で開催し、高い人気を集めたこともあった。

島田 茂
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国民の衣料生活を豊かにした合繊メーカーの躍進

2014/04/16 15:19
 戦後、天然繊維不足からウールと綿製品は高値が続いていたが合繊メーカーの新商品の開発と量産によって生地の低価格化を実現した。合繊は朝鮮戦争の始まった1950年代以降「糸偏景気」といわれて輸出製品産業の花形となり、50年代には日本の合繊メーカーは世界第一の輸出国の地位を固めた。
織物は50%以上のシェアーを占めるようになった。
 輸出商品の合繊は世界景気にも左右される。需要と生産のバランスが程よく行っている時期はメーカーも利益を確保できるが永い間には何度となく好、不不況の波があった。国内需要への供給に応える形で増産を続けた結果、ウールや綿に比べて合繊は低価格であり、洋服、洋品の製品価格を押し下げ国民生活をバックアップしたのである。
 各メーカーは素材は如何に大量に生産して販売するかを考えていた。1951年東レはナイロンの生産を開始し、「繊維新素材時代」の幕開けとねり、その後三菱レーヨン、旭化成(ベンベルグ)など各社から続々新商品が登場した。これらの新商品開発と共に既製服化へのサイズに対して研究も進行していた。
 その後、今日まで、新しい技術開発によって作り出された新合繊はこれまでとは異なる特性を持つ、特にポリエステル長繊維を中心とする薄起毛調、梳毛調、シルク調などさまざまな表情をもつ繊維が開発されてきた。これら素材を使用して多くのファッション商品が生み出されてきた。

合繊メーカーの販売促進戦略

 合繊業界は1950年代、マーケッティングの発想を持たなかった。素材を使用してどの様な洋服、洋品を作るか、あるいは消費者は何を求めているかという調査は行われず、生産第一で在庫増に悩んだ時期もあった。 
 1960年代、消費者へのファッション情報が浸透してくると、これら合繊各社とアパレルそしてっ百貨店との協力関係が洋服の質と量にとって一層重要となった。
 合繊メーカーと百貨店との協力関係を見ると旭化成と百貨店とのケースがある。旭化成は1950年5月のゴールデンウイーク、全国百貨店でベンベルグ展示即売会を開催した、東京の伊勢丹、高島屋を皮切りにスタートした。この頃の販売活動は百貨店とのタイアップで新聞広告を使った。ベンベルグは絹のような光沢ですべりがよく洋服の裏地では圧倒的なシェアーを持っている。

                                   島田 茂
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服地・オーダー

2014/03/14 15:27
ホームメイド
1950年代、家族の着るものは家庭で作るホームメイドの時代、ミシンは一家に1台、生地を購入して作るための技術を身につけるための学校であった。編み機の家庭への参入は後日のことである。主婦は家庭の衣料を作るために1日数時間をとられていた。
1950年代、お年玉つき年賀ハガキが初めて発売されたがその景品がなんと1等高級ミシン、2等が純毛洋服地1着分であった、いかにミシンや純毛服地に国民の関心が高かったかがうかがわれる。

婦人オーダーメード
 百貨店の特定顧客は服地に隣接するオーダーショップで仕立ての注文をした。百貨店は1960年代半ばまで、婦人服と婦人のオーダーが婦人服フロアーの70%を占める時代が続いていた。縫製工場は各デザイナーのアトリエで行うケースが一般的であった。

1940年代後半〜50年代 戦後の復興期は服地と洋裁学校ブーム
 戦後間もない日本は繊維不足と統制経済が続き、すべてに物不足で自衛のために洋裁が盛んになり、一家に1台のミシンが入るようになると洋裁学校が増加した。戦後10年間の洋裁学校の増加状況は下記の表のように増えていった。

   年代       洋裁学校数         学生数

  1947年        400             4,500
  1949年       2,000            200,000
1955年       2,700            500,000

戦後の洋裁学校増加数             出所: 既製服工業連誌1980年

1960年代前半までの、3階・生地売り場は広かった。春夏がコットン、秋服はウールが主力で、シルク、合繊も扱っていた。生地はお客様の必要な分だけ反物から切り売りと着分で販売した。付属に必要なボタン、ファスナー、芯地、糸、針、物差し、ハサミ、チャコなどと共に各種の紙型を揃えていた。
 仕入先は得意な分野ごとに総合卸の吉忠、市田、塚本、レナウンとウールは丸増、森伍、
尾山、綿は立川、シルクは亀井、レースは野村、輸入はストック&ゼノック、コロネットなどと取引を行った。
 私の経験では1960年代半ばでは、服地の仕入れは原則買取、取引先を訪ねると現物を挟んで価格交渉が始まる。指値(さしね)(卸値)は五玉の大型ソロバンで示される。そして色々な条件交渉の後、合意に達し出荷価格が決まる。いわゆる下代商売である。そのためには相当な商品知識と顧客情報、日々変わる糸相場などと売上げ、利益、在庫予算持って出かけなければならなかった。
 上司からの助言は「仕入先で値切ってばかりいると取引先に嫌われる、正当な評価も必要である。極端だが値切るときは5玉(上)を、時には相手を褒めて1っ玉(下)を上げて使い分けろ」であった。
当時、三越の「土井さん」(信州大学繊維学部出身と聞いていた)という有名な仕入れ係は、我々より後から仕入れに来ても取引先の皆さんは全員で応対する実力者で反物の山ごと発注していた記憶がある。それほど服地とオーダーシェアーの高い百貨店であったと思われる。

                                       島田 茂
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島田氏 ファッションの伊勢丹史 4章3

2014/01/13 17:52
第4章3
既製服はハイリスクなビジネス
 イージーオーダーに比べて、新しい既製服ビジネスは毎シーズン新しいデザインを発表して色とサイズを揃えた製品の在庫負担を持つという今までにないリスクをメーカー、小売業が持つこととなる、ハイリスクなビジネスである。
 それに加えて生産現場から小売店頭までの「ハンガー納品システム」を取り入れることは既製服を運び、保管するためのスペース確保、販売に必要な試着室、顧客のフィット感を満たすお直しという補正サービス体制の確立、そしてこれらをベストに運営する情報や物流システムを新たに整える投資が各企業に必要であった。

第4章4
 私が入社した1962年、伊勢丹は1階が紳士婦人の服飾雑貨、2階がティーンエイジャーショップ、カジュアルショップ、ベビーショップ、子供服・用品、3階が次の図のように、紳士服と婦人服がフロアーを半分ずつ使用していた。婦人服部門の半分を服地が使い、残りをイージーオーダーと既製服が使用していた。婦人既製服が4分の1とは、まさに洋服は生地を購入して仕立てるオーダーメード時代から既製服成立期への入口にあった。しかし1968年リモデル時に3階すべてが婦人服フロアーとなり図の面積の3倍に拡大するのである。

服地・オーダー
 私は、自らの適性が分らないまま婦人服地売り場に配属になった。しかし、その後ファッションの道を歩むことになるが最初の4年間にすべての基本となる素材に触れたことは次の婦人服へのジョブローテイションで大きな自信となった。
 当時はもちろん素材についても要尺(洋服を作るための生地の必要量)も分らずであったが時が経ち隣のオーダーサロンのデザイナー近藤百合子先生、隅田房子先生、石黒佐和子先生のデザイン画や仮縫いそして仕立て上がりの作品に触れるうちに「なぜ平らな布地が立体の洋服になるのか」そのクリエイティブな仕事に段々興味を持つようになった。
 1シーズンを経験すると布地に慣れて鋏の切れ味が気になってくると自分の使っている長太郎(ハサミのブランド)に愛着を感じ常に様子を見て研ぎに出したものである。
 戦前、父が紳士テーラーを開業していたので家にはミシン、裁断代、裁断ハサミ、チャコ(生地にマークをつけるチョーク)、物差しなどが残っていた影響かもしれない。
 入社後、半年を経たころ、服地に対する興味と知識欲が出て「田中千代著・服飾辞典・講談社」を購入した。その後、常に身近に置いて永く使用した。田中千代先生が長年に渡り経験され、調査した内容はまさに実学書ある。接客を重ねてお客様から学ぶことが増えると同時に服地の知識を一層高めようと、プリント工場、毛織物産地の尾州、三重のニッケ工場など、生産現場を仲間と訪ねて物つくりの原点から学び自信を深めていった。

島田 茂


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葵流通会 島田 茂氏の「ファッションの伊勢丹史」が本になりました。

2013/12/12 21:12
 島田 茂氏が大学院で伊勢丹史をまとめ、192ページの労作が完成しそれを本にしました。
右の写真がそのA4の製本されたものです。大変立派に出来ております。
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葵流通会のブログ上にこの抜粋を掲出したいと考えております。25年の新年から月に一度を目標に、掲載を続ける予定です。ご期待ください。

                                茂木 稔
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万世橋エキュート

2013/09/22 16:04
 テレビでJRの新しい商業施設の万世橋エキュートの紹介画面が流された。その場所はずっと以前に行ったことがある交通博物館の跡地であるという説明があった。確かその博物館は狭く、展示物も物足らなかった記憶があった所である。秋葉原駅から4・5分歩いてゆくと万世橋の脇にその施設は見えてきた。9月14日にオープンしたので、早々と17日の平日に出かけて行き、橋の上から見てみるとレンガ作りの駅舎と思える建設物があるが、ずっと以前に万世橋駅舎が有った場所であり、今は線路下のガードを構成しているものにしか見えない。
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施設の表示も極めて小さく、中に入ってみてもエキサイトするような魅力が有るものは全く乏しい。
私と同じ新しい物好きな中高年者が見学に訪れて写真などを撮っているが、平日でもあり周りに若い人は見当たらない。入口にはティールームがありここはかなりの人が暑さを避けて休憩しているのが見えるが中には各ショップを観察している人が少し居るばかりである。
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表側に回ってみるとワインショップなどと共に飲食店が入っているが、あまり変哲も無く物販の店も特に印象的な店は少ないようである。説明では14店舗が出店していると説明が出ていた。
この施設の中に2階に上がる階段があり、本来はそこが電車のホームであり、乗降場所であったことが判る。そのガラスフェンスの直先を中央線の電車が行き交っており、それを目当てに来る子供たちには魅力がある場所ではないかと推測できた。また、この階には大きなティーレストランがあり、ここは人気がありそうで客が沢山入っていた。
この施設が出来たことで一番プラスになるのは、何と言っても「肉の万世」のレストランではなかろうかと思える。昼食時間なので店に行って見ると平日であったが満員に近い状態であり、別の場所でお昼を摂ったものである。
今回のこの場所の施設はJRの未使用の場所を有効利用しようと考えただけのものと私には思えたものである。

                                茂木 記
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ファッションの伊勢丹史

2013/08/23 20:33
ファッションの伊勢丹史
  1950年代〜70年代  デパートが果たした既製服産業への関わり

                                                           島田 茂
はじめに
 よくお客さまから「伊勢丹はなぜいつも混んでいるのですか」と聞かれることがある。しかし創業以来、何回かの困難に遭遇し危機意識を持ち飢餓感に接した体験が語り継がれている。それゆえに常に顧客の満足を得るチャレンジを途切れることなく継続している結果が今日の姿である。総てに後発だった伊勢丹が先発の店に立ち向かうには何が必要だったのか。「どうすれば伊勢丹にご来店いただけるのか」我々は話題性のある空間や商品そしてお客様の期待以上の販売サービスの提供する事に最大の関心をはらってきた。本論文ではその中で1960年代に既製服の工業化を果たした伊勢丹の役割を論理的に解明したいと思う。以下その一部を紹介する。
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「なぜ伊勢丹はファッションを選択したのか」
 伊勢丹は明治19年、神田で呉服店を創業、三越、高島屋、大丸、松坂屋に遅れて創業した。昭和8年、現在の新宿で百貨店を開店したが百貨店への転換も他店に遅れた、それに加えて戦後、昭和28年までの8年間米軍に建物を接収され、使用出来る売り場は地階、1階、2階だけで全館営業も後発となった。先発組に如何に追いつき、追い越すかそれには何をもって独自性を出して勝負するか、決断の時であった。
 昭和28年、待ちに待った店舗が米軍より3階以上も返還され地階から7階まで全館返還された。満を持して決断した。2階に大きな子供服売り場を作った。
この時期、他店は呉服が主力であった、社会が洋風化する以前であった。なぜ子供服なのだろうか、それは将来有望な人口の最も多い顧客となる団塊の世代が丁度、7~8歳になっていた。また、新宿という街が戦後、郊外へ移り住む人々の要となってJR,私鉄の乗り換え駅であった。この年代層が中学生になった昭和31年他店に品揃えのない「ティーンエイジャーショップ」をオープン、そして高校、短大生になるときには「カジュアルショップ」「ジュニア」をオープンしていった。
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伊勢丹ならではのタータンチェックの袋の誕生は、昭和35年に洋服も包装紙に包んだ時代にティーンエイジャーショップ用に開発した。「紙袋文化」の始まりである。
チェックは当時ベストセラーになったスカート柄(英国の紋章・エイシェント)から選定し、丈夫な紙質と鮮明な色が出るように裏が黄色になっている。今日まで半世紀、国内外の店で使用されて「伊勢丹=タータン」のイメージが定着した。このように新宿と云う街と団塊の世代に絞り込んでお客さんの求めるファッションを常に先行して提案してきた。
 ファッションを選択したもう一つの理由は昭和26年日本の外貨が不足している時代、後に伊勢丹の3代目社長になる小菅利雄が3ヶ月の欧米視察のチャンスを得たことにある。彼は米国で全米小売業協会が発刊した「バイヤーズ・マニュアル」を入手した。帰国後翻訳し、その中からエキスを取り出して誰にでもわかり易い「マーチャンダイジング・ノート」を作成した。これを全員が活用することによって伊勢丹は旧い習慣が残る呉服系百貨店体質からいち早く近代的組織で動く百貨店へ転換を図った。「マーチャンダイジング」とは「整理と分類」である、ファッションとは「科学と感性の結晶である、とりわけ色とサイズである」の実践を続け、すべてに顧客起点の「顧客第一」がお客様の信頼に繋がっていったのである。

「マーチャンダイジングの伊勢丹はいかにして形づくられたのか?」「マーチャンダイジング・ノート」は各人の判断基準となって活用され実行された。
このノートは完全な品揃えと商品分類の2つに分けられている。たとえばノートの右側商品分類では、対象別は1 性別 2年齢別 3グループ別 となっているが年齢分類では1ベビー 2子供 3ティーン 4ヤング 5ミッシーとなる。伊勢丹のマーチャンダイジングとは「商品が企画され、発注、納品、販売、お客様の手に渡り売り切るまでの計画・実行・反省・対策のすべてをいう」。お客様が欲しいものを、欲しい時に、欲しい量だけ、欲しい価格で御求め易い状態で品揃えする事である。
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「新しい既製服の誕生その時サイズがうまれた」
 戦後、間もなく、洋服は生地を買って作るオーダー、次にイージーオーダーの時代が続いた。昭和40年以前、既製服はメーカーが限られていてサイズも種類も少なかった。お客様が欲しい時に、欲しいものが、欲しいサイズと色で、欲しい価格の既製服を求めていた。伊勢丹は樫山、三陽商会、東京スタイル、レナウンのメーカーが参入以前にこのニーズに応えるよう昭和32年「服飾研究室」(後の伊勢丹研究所)を新設してサイズと色、素材の開発に取り組みにスタートした。その後メーカーも賛同し効力を得るのである。
 標準統一サイズを設定するためのデータは昭和28年からイージーの注文表を基にして分析、服飾系大学の協力を得て作っていった。この情報をメーカーへ伝え、また高島屋、西武の合意を得て、3者で昭和39年11月「婦人服統一サイズ」を発表した。その時現在のサイズである5・7・9・11・13・15号が誕生した。
その後全国に既製服が広まりメーカーは昭和50年頃にアパレルという名称を使うようになった。昭和30年代には既製服の工業化に必要なパタンナー(型紙を作る人)が不足していた。研究所は技術者を養成するためにアメリカへ研修に行かせた。またメーカーにも同意を求めて技術者を増やしていった。縫製技術も同時に研修に出かけ向上を図った。サイズは基本パターンから大きくまた小さくグレイディングの技術も発達し昭和48年、伊勢丹は「男の新館」をオープンと同時に婦人服を拡大して新しい既製服と大きいサイズショップを充実させた。この時から「ハンガー納品システム」を導入した。これまでのダンボールへ洋服を畳んで納品していた既製服の縫製から店頭まで、一つのハンガーで移動するシステムを構築ししわのない洋服をお客様へ渡すことが出来るようになった。
 まさにこの革新の時代昭和37年に私は入社し、ファッションビジネスの道を永く歩むようになった。昭和44年アメリカ研修の機会を得て「マーチャンダイジングメソッド」を学び帰国した秋に玉川高島屋ショッピングセンターがオープンして既製服時代が本格化するようになっていったのである。この様にして世界一を目指すファッションの伊勢丹が発展してきた歴史がある。
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東武鉄道スカイツリー駅の東京ソラマチ

2013/06/19 21:09
 スカイツリーの立っている場所は、以前は東部鉄道のコンクリートミキサー用の大きなプラントがあり、自社の無蓋貨車で砂利を運び生コンクリートが作られていた所です。その広大な敷地を利用してスカイツリーを建てたわけです。
浅草より電車で一駅の、以前は業平橋といわれた駅は、在原業平に因んだ名称でした。今はツリーの開業と同時に駅名を変更して、東京スカイツリー駅と名前が変わっています。その様な訳で浅草よりこの駅まで多くの人が乗ってきます。駅よりは1階に下りて改札を通り、今度はエスカレーターで2階の「東京ソラマチ」へと入って行きます。
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そこでは、食品の専門店が100坪以上の広さでグローサリー、果物、肉、魚、お酒、ワイン、缶詰、乾物、焼き鳥、うなぎ、弁当、菓子など、まるでデパ地下と同じイメージです。広いフロアを更に進むと、ケーキ、チーズ、ティールーム等の専門店があり、本屋も大きな店で三省堂が出店しており、ファッションの店が連なり、ZARAの店も有ります。
その店舗数は312と案内書にありました。さらにうえの階ではレストランなどが充実しています。
昨年5月22日のオープンとしては、まだ人の数は平日に行ったのに拘わらず大変多いなと感じました。4階の屋上の出てみると植栽がなされていますが、この植栽は殆ど平地の植物と差が無く、松の木の10メートル程の木が沢山植えられており、これにはビックリしました。
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これにはもちろんスカイツリーに上がって見る人たちが、平日で3時間待ち(1時で4時の入場)のために整理券を貰った後に、3時間店内を見て回り滞留していると言う事です。
 帰りは地下鉄の吾妻橋駅に出てみましたが、こちら側はツリーの開業前に比べて全く歩く人が少なくなっています。今まではこちら側からスカイツリーの立ち上がる姿を見に来た人が大勢いて、橋の上では沢山の人たちが写真を撮る姿を見たものですが、今は歩いている人も少なく人通りも以前に比べ激減です。
これは業平橋駅が東京スカイツリー駅と名称を変更したことに大きく影響されたされたものと考えられます。東武鉄道はニコニコですが、地元の商店街ではまだら模様なのでしょう。
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東急澁谷駅の地下化による商業施設への影響

2013/04/08 11:38
 東急東横線が地下に潜ってより、まだ大して日が経ってない日曜日に地下駅を見に行きました。
たまたま新宿での会合があり、それが終わってから新宿三丁目より地下鉄新都心線で澁谷駅に向います。澁谷の駅では地下鉄が一番深い位置にあり、東急澁谷駅は地下のその上に位置します。長いエスカレーターを3台乗り継がないと、地上には出られません。東急地下駅のコンコースは複雑で、とても一度来ただけではとても覚えられるものではありません。
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東横線のホームの位置は、地上から見ればヒカリエとJR澁谷駅の間の広いバスターミナルの下に位置しますが、地上からは駅があるのは認識出来ません。この東急地下駅より、JR線、京王線、地下鉄銀座線に乗り換えるには、通勤客にとっては実に大変になり、埼玉方面の客が横浜方面に行くのに便利になったとは逆に、東横線の人たちは大変になってしまいました。
 さて、商業施設への影響から見てみると、確かに東急ヒカリエには入りやすく、多くの入店客があり賑わっていました。JRの駅からも屋根つきの広いブリッジが用意されています。東急百貨店はと見ると、工事中の影響もありディメリットばかりに見えました。
しかし、地下鉄新都心線が相互乗り入れによって、新宿地区は大きなメリットがありそうです。とりわけ、新宿伊勢丹が客の入りを見ていると入店客が大きく伸びていると思えました。池袋地区までは足を伸ばして調べておりませんが、やはりそれなりの影響があると思えますので、近い内に出掛けて調べてみるつもりでおります。
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改修後の東京駅と銀座の人出

2013/01/22 19:44
 新しくなった東京駅舎の景観は、なかなかに素敵なものになりました。それを見るために多くの見物の人たちが皇居口から出てきます。中高年の数人連れが多い様子で、丸ビル前で駅の写真を撮ると寒いので直にビルの中へ入って行きます。そんな訳で新丸ビルの中のティールームやレストランは大変賑わっています。
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銀座の人出はどうかと足を伸ばしてみました。こちらは4丁目周りにはかなりの人出があり、ファッション関係のお店がバーゲン中のこともあり、若い人達を中心にかなりの賑わいです。こちらも寒さが影響していると見えて年配の人は少ない様子です。松坂屋の中のフォーエバー21とか、ザラ、H&Mなどに20代30代の方が入っています。ユニクロやジユーも若者ばかりでした。
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ブランドの専門店はと見ると、プラダやフェラガモの店は入口に若いイケメンのドアマンが入り口の扉の中に立っています。その目的は店に相応しくない客が入ってくるのを妨げているのです。
銀座のブランドショップにはこのような店が増えてきています。ヨーロッパ各国の専門店では極めて普通の光景ですが、日本にもその方式が持ち込まれており、欧州ブランドに目立ちます。
 私もこの経験がスイスのチューリッヒであり、大変勉強になりました。組合のヨーロッパの労働事情の勉強に冬の20日間を各国の百貨店を訪ね、労働事情や従業員の施設を見学させてもらいました。その折にチューリッヒで買い物をした時のことです。
多分、私が35歳位の古参係長の頃であったと思います。自由時間の折に腕時計を買いに行きました。専門でのショーウィドーを見て周っていると、そこで販売しているレベルの時計が目に入ります。大変立派な店ですが中は全く見えません。ショーウィンドーの品は円換算では1万円から上で10万円くらいです。
入口のドアーを開けると、タキシードを身につけた45歳くらいのドアマンがおります。挨拶をすると何をお求めの予定ですかと聞いてきました。「Ich mächte einen Uhr kaufenn」(時計が買いたい)と土地のドイツ語で答えました。すると広い店の中ほどのカウンンターの前の立派な椅子に案内してくれました。しかしそこには見えるところに時計は全く展示してないのです。そして、何語の販売員をお呼びしましますかと聞いてきます。私もドイツ語の勉強にと「Ich versteie Deuch](ドイツ語が出来ます)と答えました。すると、上の階かららせん階段を素敵な30歳位の女性がおりてきました。ですが私は「Uhr」と言い、時計と言って「Arm Uhr」の腕時計と言っていなかったのです。すると、彼女は私の担当でないので替わりますと言います。そこで是非とも貴方にお願いしたいと言うと了解してくれました。直に、どの様なメーカーブランドがいいですかと聞いて、壁面の備えられている引き出しを取り出し、20点ほどの時計を見せてくれました。私は敢えてもう少し他のものを見たいと言うと、更に他の引き出しを持ってきます。そして必要な条件は自動巻き、電池式、防水、何が必要か聞いてきます。私はエテルナというブランドの150フラン(1万2千円)のものを決めました。すると今度はその時計の検査に掛かりました。10分程して保証書を書いて渡してくれました。入口までその女性は送ってくれて、ドアマンがドアを開けてくれ送り出してくれました。
約30分位でしたが、専門店とはこういう対応をする店であることを初めて知りました。

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意外な組み合わせビックロ

2012/11/17 20:06
 9月27日にオープンした店を、新宿三越あとにオープンしたビックカメラとユニクロの複合店ビックロを10月の5日に見学に行きました。今までの三越の重厚な昭和初期のような外装は、真っ白な平らな壁面となり、そこに大きなカタカナのビッコロの文字が有りました。開店してから僅かな日数しか経っていませんが、入店客はあまりさほど多くなく、中国語の客の言葉も聞こえてきました。
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 先ずは1階より見て周ると、掃除用品のルンバが大量に展示してあり、その横にダウンベストを着たマネキン何体も並んでおり、そばにダウンベストの集積があります。さて何の関係なのでしょうか。上の階に上がってゆくと衣料品の展示が増えてゆき、フリースの大量展示の横には、電動自転車とスポーティーな自転車が並んで展示されていました。これは日常的な関連を感じました。8階まで上がってみましたが、やはり展示はユニクロとビックカメラの商品は別々に展示されているものが殆どでした。
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果たして何処に相乗効果が有ると言えるのか疑問です。敢えて考えればユニクロの客の吸引力とビッグカメラの吸引力で、客がそれ以上に入るとの読みかもしれません。
正直に言うと私には何だか明快な答えは見つからないまま、エスカレーターで周っただけで終わりでした。
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大丸東京店のお弁当売り場

2012/09/04 15:29
 東京駅の大規模な改修工事が終盤に近づいており、八重洲口の工事もかなり進んできています。
その大丸の地下1階のお弁当売り場の充実振りがTVの取材で色々に取り上げられており、その実態を見ておこうと思い、9月の初めに行ってきました。
地下通路を通って八重洲中央口の先に出ると、先ず目に入るのは東京駅一番街という商業施設です。この売り場は南北に150m位にわたって広がっており、南の方には8店舗で構成されるラーメンストリート、中央部にはごちそうプラザ、北側は21店舗ものキャラクター商品のストリートが有る、有力なJR東日本の商業施設が有りました。
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 大丸のお弁当売り場は23店舗で構成されており、1000種類のお弁当と公表され、入り口には叙々苑の実演焼肉弁当があり、ミート矢澤のステーキ弁当では9600円の極上和牛弁当まであります。並びにはステーキやハンバーグ弁当があり、実演の牛タン弁当もあります。カツ弁当も多彩で美味しそうなものばかりです。次に目に付くのは色彩豊かな幕の内弁当系のものが幾つも充実しています。筆頭は灘万の弁当があり、神田いろは寿司のいなりずしが充実していました。
また、おにぎりの種類が豊富であり、サンドイッチがメルヘンサンドイッチのブランドでありました。
 隣接売り場はお土産に好ましいお菓子類が沢山揃っていました。丁度TVの取材がなされていましたが、今までの売り場に比べて各段に充実度が高く、とりわけ肉類の弁当が目立ち、単価の引き上げに貢献していそうです。東京駅の隣接としては極めて妥当な構成であると思われます。
この大丸の外側には八重洲地下街が有りますが、こちらの店については特にJR一番街の影響を受ける可能性もありますが、懐の深い八重洲の人の流れから見て、極端な影響は出ないでしょう。
八重洲側のどの商店街も整然としており、完成した暁には1つの商店街として機能する日が近いのではと思われました。
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渋谷東急ヒカリエ

2012/06/11 14:38
 4月26日のオープンから、混雑が落ち着く頃を見計らってヒカリエの見学に行きました。
古い人間の私達には、その場所は昔の東急プラネタリウムや名画座の入っていた所でした。JR渋谷駅とは新しい屋根つきのブリッジのコンコースがバス停の上を越えてヒカリエのビルに入っいます。百貨店としてのシンクス(ShinQs)は、そのビルのB3から7Fです。それより上層階は事務所棟となっています。
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B3よりビルの外側に位置するオープンエレベーターとエスカレーターが4Fまで伸びています。
両側がオープンのそれは圧迫感がなくて快適です。店内に入ると生鮮三品がセルフ式の売り場となっています。おもな食品では調理された食材やおいしそうなお弁当の種類が豊富で、イートインの店があれば食べて行きたいのですが、1つしか気付きませんでした。一階からは化粧品やファッションのブランドが沢山ありますが、知っているブランドが少ないようでした。若い人と中年の女性が対象と考えられて、男物などは殆ど気付かない程でした。ビームスやユナイテッドアロウ-ズなどが目に付くばかりです。
平日の昼頃とあって20代後半から30代の方が中心で、さすが渋谷とあって高年者のおしゃれをしたご夫妻や女姓だけのグループが目立ちました。昼食時であったので、各レストラン共に、空席待ちのお客さんが20〜30人程もおり、多い所では50人位も並んでおりました。この百貨店の反応は半年後くらいにならないと判定は難しいと考えられます。
しかし、東急電鉄が東口の地下に移った時には、食品の強い東急が再現されるかも知れないと思えました。まだ、渋谷駅の再開発が進んでいる最中であり、これからも見つめて行きたいと思います。
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新宿東口昨今

2012/04/15 11:12
 久しぶりに新宿東口の中央口に出て、地上部より伊勢丹方面に歩いてみました。いつもは地下道ばかり利用していたので地上部が変わっていることに注目してきませんでした。
地下から出口へ出ると先ず目に入ったのはヨドバシカメラでした。あまり大きくないビルですが、サクラヤを買収してヨドバシにした店です。直ぐ隣の角にはビッグカメラがありました。平日の午前中ですが呼び込みの声が大きく聞こえます。
曲がって直にタカノがあります。洗練されたショーウインドーがありファッション雑貨のディスプレイです。中には昔のフルーツ店としての実態がありますが、外見はファッションビルです。その対角線の角には昔よく行ったキリン麦酒のホールではなくビッグカメラの店となっていました。新宿も大型電気店に完全に包囲された感があります。隣の紀伊国屋は前と変わらずに新宿の重鎮の店として健在です。
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右側はと見ると三越百貨店の閉店でシャッターが閉まった店が見えます。24年3月末で店を閉め、その跡は何になるかは表示も有りませんでした。昭和30年代は伊勢丹と共に客の多かった店であったのを覚えています。伊勢丹本店は昔の外装ですが、その内装はかなり変わっており1階の右側はアールのついた天井で照明がやわらかく、バッグ類の展示が映えています。入店客も比較的多く買い物をした伊勢丹の袋を持つ客が目につきます。紳士館も見ましたが平日の午前中とあって客はまばらでした。伊勢丹の前には丸井のビルが白い外観で大きく広がっていました。
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 帰り道に西口方面に大ガードをくぐり、昔のバラックであった飲み屋街の中を歩いてみました。今では「思い出横丁」などという洒落た看板が出ていましたが、俗にションベン横丁とか、我々の間ではゴキブリ横丁と言っており、確か食べた汁の中に一匹の大きな虫が入っていたことがあり、学生時代には鯨の大きなカツをここで食べたことがありました。
 戦後の匂いが今でも一番残っている横丁かもしれません。私が知っているところでは、吉祥寺のハーモニカ横丁がありますが、こちらの方が昭和30年代の面影がそのままに残る商店街と言えそうです。この姿が何時まで残るのでしょうか。さて。

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八王子そごうの閉店

2012/02/03 13:43
 昭和57年(1982)に八王子に移り住んで30年となりました。八王子では伊勢丹、西武、大丸、が、今迄に閉店して、百貨店として最後の砦である「そごう」までもが今年の1月31日をもって閉店となりました。
50万を超える人口を有する八王子ですが、町村合併をしてきたその地域は広く、駅前の商店街が核となる吸引力が足らなかったと言えるのでしょう。横浜線と八高線がありますが、それらは商圏拡大には繋がらなかった様子です。街の中心であった繊維産業が衰退したのも大きな要因と考えられます。今はやっと金属製品やIT産業が育ってきている様子です。
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 1月31日に、そのそごうの閉店セールを見学に行ってきました。実に多くの客が溢れており、今までも支持していてくれたならば、撤退には到らなかっただろうと思えました。
景気の良い時代には年商490億近くの売上高で、そごうの中でも良好な店だったのです。昨今はその半分も行かなかったと言われていました。そごうの元気な頃は破竹の勢いで、当時の水島社長が30店舗の目標を打ち出していました。JRからの店舗の借りている料金が高く、採算が合わないものと考えられます。町内会でもそごう存続の署名活動まで行われました。
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私も時折紳士衣下着の購入や、有隣堂での書籍の購入に便利に使用してきましたので、淋しい限りです。今後はJRの専門店として秋に開店の予定とありますが、高齢者には百貨店は新しい文化を運んできた店として、今後も有って欲しいところです。今後も行政と一緒に街の活性化を進めて行くことを期待しています。


茂木 記
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有楽町ルミネ店

2011/11/26 22:05
 10月28日にオープンした有楽町のルミネは、オープン当日の夕方に行ってみました。ところが、若い女性を中心に店の周りに200mもの入場待ちの列が出来ていて30分位は待たねばならず、無駄な時間と判断して諦めました。そして11月の中旬にゆっくりと店内見学をしてきました。
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この店は西武百貨店時代にはオープン売り場が広がっていましたが、ルミネとしての改装後の各店は天井まで仕切った店別分割をした店構えの集合店舗でした。百貨店などのコーナー別の区切りよりずっと閉鎖的です。そして全く先が見通せない多少迷路的ともみえる構成をしています。
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 先ずは地下売り場より見てみましたが、レストランが多くカフェテリア式にそれらの料理を買って、売り場の前の広いテーブルで自由に食べられます。そのテーブルや椅子はゆったりと配置されており、オープンテラスという雰囲気です。
一角には成城石井の食品もあり、少しレベルの高い食品と食材が置かれています。また豊富な乾物や食材のお店として、町田が本店の富沢商店が都心部への進出をしていました。各階には大きなスペースのカフェがあり、B1にはアフターヌーンティがあり、1Fにはアンデルセン、2Fにはハーブス、3Fにはビブリオテーク、4Fにはラ・プティ・メルスリーとあり、それより上には有りません。また1Fにはスイーツの店が目立ちます。2F・3Fにはレディースファッションとメンズ・レディースの複合店、ユナイテッドアロースやトモローウランドとうで、4Fも男女複合店です。6・7Fは生活雑貨となっていました。
兎も角、中に入ると一体どこに居るのかが判らなくなります。この迷路的な売り場が建物の持つ迷路性と併せて特徴なのかも知れません。ある意味ではドンキホーテの高級商品版なのとも思いました。顧客の好みがこれ程までに分化してしまったのでしょうか。ここでは多分に試験的な演出空間との印象を覚えた店内見学でした。


茂木 記
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キャンパス新5号棟

2011/10/08 11:38
 10月の初旬に国分寺のキャンパスを訪ねてみました。先ず、図書館に行って目的の経済の週刊誌を丹念に読みました。世界のエネルギー事情の解説特集号でした。
数年前に比べて学生の図書館での読書中の人数が増えており、2倍くらいに感じました。以前は読書中の学生は少なく、年配者が2,3人読書や書き物をしている光景が多かったのです。しかもそれら学生が読んでいる物を見ると、3,4人はマンガを読んでいたのです。がっかりしたものです。今回マンガを読んでいたのは一人だけでした。他の人達は実に真面目に本に没入しています。
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 次いで、新5号館の建築進捗の様子を見てきました。すでに外郭のコンクリートは出来上がり、1階のガラス扉のフレームを取り付けていました。思ったよりずっと大きな地上4階の建物で、教室棟として使用されれば、大変余裕のあるキャンパス施設になりそうです。ただ、残念なことには6号館前の南側の広い芝生の庭が、砂利敷きとなってしまったことです。
多分、資材の置き場として必要なのかと思われますが、5号棟の完成後は元の芝生の庭に戻してもらいたいものです。
来年早い内に竣工することでしょう。キャンパスの充実は我々卒業生にも、在学生にとっても大変に喜ばしい限りです。竣工を心待ちにしています。
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オープンキャンパス 第1回7月17日(日)

2011/07/20 21:35
 本年度初めてのオープンキャンパスが大学であり、その状況を知ろうと午前中に出掛けてみました。キャンパスでは10時から総合ガイダンスがあり、11時より各種の内容に分かれて説明会が各所で催されました。
私は先ず「21世紀教養プログラムセミナー」を見学してみました。教室には30名くらいの高校生が説明と模擬セミナーを体験していました。12時にそれを出てみるとキャンパスツアーの一群50名くらいが図書館に向かっています。そこでこの一団に混じりツアーの体験をしてみました。
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図書館では各フロアーの説明と今迄見たことが無かった地下1・2階の書庫内を見せてもらいました。蔵書数72万冊が所狭と書架にあるのには目を見張りました。
次に6号館地下のメディア工房に行きました。そこにはマッキントッシュの画像処理用のパソコンが並び、スタジオや大きなスクリーンを持った映像室もあり、これも始めての体験でした。
この設備は主にコミニケーション学部の学生達がITの専門家なるだけの設備を有するものと思えました。
そこでグループを離れて学生食堂へと向かいました。オープンキャンパスのパンフレットには500円分の食券が付いており、その券で試食が出来ます。広い学生食堂は約8割の席は埋まり、冷やし中華のカウンターが1番人気で30人ほどの列となり、次にカツカレーが20人くらい、スパゲッティが10人ほど並んで待っていました。
来校者の多くは学生同士ですが、親御さんと一緒の方もおり、やはり母親と一緒の人が多く、男子は父親の例も見受けられえます。
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今回のオープンキャンパスの例では、25人くらいの男女学生のグループが先生に引率されて来ており、校名を聞いて見ると八王子桑志高校(そうし)の生徒であることが判りました。
今回のオープンキャンパスでは1220人の来訪者があり、昨年度に比べて12%と大幅に増えたと大学のホームページに出ておりました。来年の受験生が増えることを期待したいものです。

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中国人団体買い物のメッカ 多慶屋

2011/07/03 11:37
 JR御徒町駅の近くに大変客を集めているディスカウントストアが有ります。そのお店のビルは紫色であり交差点に位置していることもあり、実に目立ちます。この店はずっと薄利多売でここまで大きな店になったのだそうです。
以前の記事で銀座地区では、原発の問題で外国人の旅行者、とりわけ東南アジアからの団体客が全く目に出来ないことを記事として出しました。しかし、3ヶ月以上が過ぎたので、少しは改善されているかを見たいものと、中国人の団体客でいつも溢れている多慶屋に、江戸東京博物館に出掛けた折に立ち寄ってみました。
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この多慶屋の一番大きなメインビルは8階建てくらいであり、その他に近隣に8号館まであり、雑多というより他のないお店です。いつもは中国人の団体客が時計やカメラ、電気製品、などを買う目的で来ていますが、このビルでは1階は菓子類や食品であり、生鮮食品、医薬品、からレディス館など、家具館、文具館、やや離れて自転車、ペット用品まで何でも有りです。

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しかし、今回みて回ったところでは、中国語を話す買い物客はいましたが、今までの中国人の団体客の姿はなく、ほとんどが日本人であり、ふつうのディスカウントストアの状態でした。
本店の入り口付近では本日限りのお菓子の安売りをしており、客が並んで買っており、私もそれに釣られて買いましたが、その安さには感心しました。また、中国人観光客の溢れるこの店を見たいものです。
皆さんも一度足を運んで見るのも良いでしょう。特異なお店です。


茂木  記
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東日本大地震1ヵ月後の銀座

2011/04/21 14:34
 4月20日に銀座地区の商業状況を詳しく見てきました。有楽町駅を出て数寄屋橋の交差点より銀座4丁目方面に向かいます。そこにはこの3月3日オープンした「ギャップ」の旗艦店がオープンしており、近代的なビルに4階までが売り場となり、GAPの大きなロゴが目立ちます。更に行くと「グッチ」の落ち着いた感じの店があります。
道路の向かい側には「コーチ」、次に「アルマーニ」があり、「ディオール」、「ロンシァン」と続き、4丁目角の「ドットールコーヒー」の円形のビル(旧三愛ビル)となります。
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この数年の銀座地区の変遷を見ると、欧米のブランドが進出して、銀座の表通りは店の半数近くがこれらブランドショップになってしまいました。また裏通りでも沢山のブランド店が見受けられます。
 しかし、今回その銀座を1丁目から7丁目を歩いてみましたが、その人出は正午前後にもかかわらず以前の半数位と言える少なさです。特に目立った点は外国人がほとんど見当たらない状態です。以前は多くの団体客、特に中国や台湾、東南アジアからの人たちが銀座を歩いている姿を見かけましたが、これらの団体客には全く出会う事がありませんでした。はとバスの2階のオープンバスが通りましたが、その2階にはたった2人の客が見えるだけです。
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      銀座5丁目より4丁目を見る 左のビルは銀座メルサです 
百貨店はと見ると、6丁目の松坂屋には1階の入り口近くには「フォーエバー21」のファストファッションの店が入り、他の一角は「ティファニー」となっています。百貨店が来客増を目的として、こうした外資の専門店を入れて、客の減少に対応している様子です。
4丁目の三越は昨年9月11日の売り場を増床して、道路を隔てた2館をつなぎ前の店の1.5倍、3万6千平米となり営業しています。食品売り場は地下2階ですが、かなりの入店客があり、顧客の増加に成功している様子です。
キャリアガールをメインターゲットに据えた品揃えが目に付きました。特にこの増築で目立つのはエスカレーターが非常に多く設置された、下層階では3基の上下エレベーターがある点でした。
 丁度、昼食時でもあったので銀座5丁目のサッポロレストランで食事をしましたが、いつも満席に近いレストランも、12時30分頃にも拘らず席の半数も埋まっていない状態でした。
銀座に従来のように人々が戻るのは、やはり原発の問題が解決してからではないかと考えられ、その点からは今は不透明としかない状態でした。


茂木 記
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八王子駅南口の駅前開発

2011/01/30 11:15
 私の居住する八王子駅の南口は、長い間首都整備公団の広大な空き地となっており、この度やっとJR八王子駅と共に立派に整備され、この11月末にオープンしました。駅からのコンコースも天井の照明は間接照明の柔らかなものとなり、2階よりは直ぐにJR南口ビルとなり、そこにはビッグカメラが1Fより5Fまでを使用した店をオープンさせました。また、このビルの1FにはJRの子会社が運営する児童保育施設も入っています。
この駅前には広い樹木の植えられた公園状の広場もあり、隣接した広いバスターミナルには布製のルーフが全面に張られており、雨の日でも濡れずに済みます。併せてタクシー広場も整然としたものになりました。
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 しかし、何と言っても注目すべきは駅前右手に聳えるサザンスカイタワーです。この建物は41階まであり、6階より上は分譲マンションであり、住友不動産が経営を担っています。
この中の1Fから5Fは八王子市の市民ホールがあり、オリンパスホールの名で2000名を超える座席を有する多目的ホールです。このホールは今年5月から利用が始まりますが、多分、音響設計にも優れ、これから色々な演劇や音楽会が楽しめそうで期待しています。
また、この建物の中にはスーパーのアルプスが2Fにあり、その他にドラッグストアや、1Fには多摩市信用金庫やカフェ、本屋、八百屋、医療施設等も用意され、3Fにはレストラン階として何軒ものお店が有り、美容室、歯科クリニックなどが入っています。
1月になってもその駅のコンコースより多数の人の流れが南口に向かい、久々に活気溢れる街を体験してきました。

                                                茂木 記
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日本橋界隈の商業充実

2010/12/24 22:43
 昨今、日本橋地区は商業集積として地盤沈下の傾向と思えたが、このところ新しい施設が増え、以前より格段に賑やかさが感ぜられるようになって来ている。
ここを訪れた日が12月の下旬の土曜日とあって、昼過ぎの人出は多く、歩道を行く人々も買い物の品を下げている人達が多い。歩道に沿った花壇にはパンジーの色々の花色が美しい。
 三越本店の車寄せには外車や国産高級車が駐車場へ入る待ち車が並んでおり、多くの案内員が整理をしている姿が目に入る。日本橋から北に歩いて見ると、三越への家族連れの多いのが目に付く。
三越反対側の歩道の人通りが賑やかである。山本海苔店や古い老舗の昔ながらの専門店が続く。その中に奈良県の物産館である「奈良まほろば館」、「新潟物産館」「島根物産館」が極めて近くにある。これら各館は地元の特産物を中心に販売をしており、併せて観光案内所としての機能も十分に発揮している。まほろば館では小規模な講義室が2階にあり、吉野の桜の歴史の講義を聴いて、私と友人でこの春の満開の桜を訪ねたものであった。
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同じ側を歩いてゆくと、「コレド室町」がこの10月28日に新しく開店して入店客が多い。この地名が室町となっているが、室町と日本橋に接する地で、実際には日本橋の一角と言って良い立地である。
ここに入って見ると、一階の入り口近くに異常に人が停滞している。何であろうかと良く見ると「にんべん本店」の「だし場」のカウンターで、有料で「だし汁」を試飲させている所である。
先日、テレビで放映されていたので、私も並んでみた。各種の「だし汁」が100円から350円位まであり、私はカツブシのだし汁を試してみた。しかし、それはそれ程感動するほどのものではなかった。ただし最近私は自分の味覚が減退しているのではないかと感ずることも多く、老化現象が進んでいるのかとも考えている。
その建物の中には地下の書店から4階までが殆どレストラン階である。その照明は全部ダウンライトのみで、非常に落ち着いた雰囲気を醸し出しており、大人の雰囲気である。
エスカレーターの近くにある横に5〜6メートルの黒い木のベンチは、良く見ると直径60センチもある古民家の梁であり、囲炉裏の煙で長年いぶされて黒光りがしており、カンナの無い時代に削られたちょうなの痕がはっきりと残っている。このベンチが各階にあり、あたかも高山の街中の雰囲気を保っていた。
この中で一番人気の店は「ビストロ石川亭」であり、多くの客が店先に並んで待っていた。
その建物の隣は千疋屋の本店が工事中であり、そのまた隣は「YOITO」という野村ビルの商業施設でBIから4階がレストラン街であり、5〜7階が大人のアミューズメントと各種のホールとなっている。
コレド室町とコレド日本橋、更には日本橋三井タワーが三井不動産によって再開発されて日本橋地区の充実に寄与してきているのが分かった。

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吉祥寺伊勢丹後のコピス

2010/10/26 15:33
 この10月15日に春に閉店した伊勢丹吉祥寺店跡に、新しく「コピス」が開店しました。どの様な店が展開されているか、10月22日に早速見てきました。 この建物は地上8階、地下1階のビルですが、A館とB館に分かれていますが2階から上は渡り廊下で繋がっています。
地下1階はAB館が一体となっており、食品とレストランで構成され、食品の4割の広さは三浦屋が占めており、他には青果の武蔵野食品や水産物の大戸水産、自然食品の店、他に伝統の器、また洋菓子の店がありました。
1階はファッションとグッズの店があり、マックス・コーのメージの高い店が入っていますが、今元気のある世界のファストファッションのブランドは見当たりませんでした。ノーリーズが広い面積を占めています。他に若い女性向きと思えるビュウティ&ユースやB館にはPLSTなどがあります。その他には洋品店が出店しています。
2階は全部ファッションと洋品の売り場で、3階にはキッズ洋品を集積したユニークな売り場になっています。それらは一つの売り場として大変良く纏められてあります。同じ階にはコムサの母親向けの衣料がありました。
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4階ではICIスポーツが、ブランド毎に構築した実に広い売り場があり、これには驚きました。
山用品とスポーツウエアが幅広く、素人向きから本格的に山をやる人の用具まで、これほどの充実した店は今までにお目にかかったことが無いという程の店構えでした。
5階はインテリア用品が中心であり、6階にはキャラパークというキャラクターグッズを集積したフロアがあり、金曜日の午後4時頃でしたが、高校生の女子学生がたくさん居り、オープンして1週間後ということもあり賑わっていました。
また、同じく7・8階にはジュンク堂の大変広い書籍売り場があり、7階には他に吉祥寺アートミユージーアムがあり、8階は吉祥寺カルチャーセンターもありました。
 全館的に見てバランスの良い配置であり、また特化された売り場も多く、今までの百貨店に比べてパンチがある印象でした。
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少し残念なことには駅より来るとコスピの建物の表示があまり目立たないことです。更に、今、吉祥寺の駅は駅舎が工事中であり、仮設の囲いがあり、駅構内の柱も改装中であり、町全体が新しく変わったという印象に欠けることです。
旧い「ロンロン」が「アトレ」に9月19日に改装され、イメージを高めていることを考えても、その点で損をしているという印象です。
街中で一番目立ったのは、肉のサトウの店舗に60人もの人が並び、メンチカツを買う姿でした。
駅舎の工事が済めば吉祥寺の商業集積は多くの人々を吸引する力を発揮することでしょう。


茂木 記

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第九回 葵流通会総会・懇親会 ー 10月14日木曜日

2010/10/17 10:01
10月14日午後6時よりアルカディア市ヶ谷で来賓5名卒業生55名学生131大学教職員15名合計206名を集め盛大に開催されました。
 総会は常任幹事の吉田寛氏(昭和56年卒三越伊勢丹)の総合司会で開会され、初めに昨年葵流通会会長に就任した新見邦由氏(昭和45年卒小田急百貨店)の開会の挨拶がありました。
続いて、幹事長の右澤信一氏より昨年の役員交代と葵流通会としての就職支援の活動報告・方針があり、つづいて記念講演「2010年流通事情・小田急百貨店編」と題し小田急百貨店専務取締役・で葵流通会会長の新見邦由氏からお話を伺いました。
百貨店の現状、将来の百貨店のあるべき姿、大阪地区の百貨店の厳しい競争そして流通業界の未来等、興味深い内容でこれから社会にでる学生にとって示唆に富んだ内容で真剣に聞いていたのが印象的でした。
 続いて恒例になりました「ファッション講座」の成績優秀者8名が岡本美彦前会長(昭和23年卒高島屋OB)を始めとする8名のプレゼンターによって表彰されました。
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                      岡本美彦氏
休憩の後、懇親会が始まり最初に久木田重和学長より挨拶があり「出席の先輩から仕事の事を良く聞くように」激励のことばがありました。
続いて葵友会会長加治章氏、父母の会会長萩原茂氏、葵友会協力委員長岡村敏彦氏、安川副学長、の来賓の紹介がありました。常任幹事北川正巳氏(昭和53年卒LVMHウォッチ・ジェリー・ジャパン)の乾杯の後、いよいよ懇談が始まりました。
 今年は昨年に比べ学生が約50名も増え会場は熱気に包まれました、どの学生も名刺を持ち先輩の周りにはメモを片手に真剣な表情で話を聞いていました。
中には用意された食事も食べずに次から次へと先輩をまわつていました。
閉会の時間が迫り常任幹事野口悦功氏(昭和49年卒高島屋)の全員校歌斉唱があり、 閉会の挨拶は常任幹事馬場章夫氏(昭和60年卒愛国製茶)が行い「学生諸君の健闘を祈念して」三本締めで会を終了しました。

葵流通会では11月よりキャリァセンターに協力して「相談会」を開催する予定です。
申込は「キャリァセンター」までお願いいたします。

                              葵流通会 幹事長 右澤信一

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オープンキャンパス第4回

2010/09/10 16:36
 大学において今年4回目で最終回となるオープンキャンパスがあり、どの様な様子か出掛けて見て来ました。9月5日はすでに高校の授業は始まっている週でもあり、夏休み中に実施された時に比べて高校生やその父兄の方は、大幅に減っているとの支援学生の言葉でした。
 学内の説明は10時より始まっていましたが、私がキャンパスに着いた時には駅から複数の高校生や、一人の人母親と一緒の男子高校生等が歩いてきて、校門よりの現役学生の案内が途中に3,4名おり6号館の受付も学生達でした。受付で記念品のバックやスケジュール案内、それに付いている500円の生協の食堂の試食券、冷えたお茶のボトルなどが配られます。

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 そこで私は11:00よりの経営学部の案内を聞きに仮設教室に行きました。
授業案内は経営学部の全般に亘る説明がなされましたが、最初に本学の由来と建学の目標としての「新一層」の思想の説明があった事は大変良かったと思われました。
最初は30人程の聴衆でしたが、途中から段々多くなり7,80が最後まで説明に聞き入っていました。数年前にも同じ説明会を聞きましたが、その時に比べるとずつと真剣に聞き入っている人が多かった様です。やはり大学に入ったとしても就職が確実という保証が無い昨今の情勢が緊張感を与えている様子です。

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その説明会を終えてから、6号館7階での個別相談の大会議室に向かいました。そこでは沢山のテーブルで色々な相談がなされていましたが、入試に対する相談が一番多く見られました。

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次に、昼の昼食時間となっているので、生協の食堂に行って見たところ、120名くらいの高校生が食事をしています。料理は5・6種類の中から選べるようになっています。
全体的に見て今回は父兄同伴が割合と少ない気がしました。そして多くの場合は母親連れが多いように見受けられます。
 キャンパス内の雰囲気は校門より父母の会のフラワーポットが置かれ、そこには綺麗なインパチェンスが咲き、暑い最中でも欅や榎、銀杏の木陰があり、涼しい印象がしました。
また、5号館はすでに取り壊されており、白い防壁で覆われていますが、新しい校舎の着工が間もなく始まる様子が見え、キャンパスが更に良くなる姿に期待を持たせるものでした。


茂木 記
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オーストラリア 驚きのショッピングカート置き場

2010/07/19 16:59
 オーストラリアのシドニーヘ用事があり10日程出掛けてきました。
用事があるまで数日余裕が有ったので、市内のスーパーやショッピングモールを見て回りました。日本のモール程のスケールは有りませんが駅より近くにモールは有り、スーパーストアは住宅地の郊外にありました。
 町の中を散歩していますと、静かな公園にゆくと、その公園の道路に面したところにショッピングカートが1台場違いの芝生の上に放置してあります。また、街中の駅の近くにも同じように4・5台のカートが、歩行者には邪魔にならないところに置かれています。しかし、そこからショッピングモールまでは200mもあるのです。また、別の歩道の上にも1台堂々と放置してあるところを写真に撮りました。

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 これは一体どうした事かと聞いてみますと、買い物をしたカートをそのまま自動車に乗せて家に持ち帰る人が多くいて、それを使用後は路上の見えやすい所に出して置くのだそうです。 
そんな事では後々カートを集めるのが大変であろうと思っていたところ、土曜日の午前10時頃にこれらを集めている農業トラクターの様な車両が運行しているのに気付きました。
早速写真に収めましたがこのカートの収集に掛かる経費はどうなっているのだろうと思い、また、スーパーやモール別に分類するのも大変そうだと考えました。

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「所変われば品変わる」という諺がありますが、正にその感がしました。物価は日本とさほど変わらず、肉は日本の半値くらいとかですき焼きで沢山肉を食べました。
街中でマックのハンバーグを食べましたが、「マイティ アンガス」というのが8ドルで(約640円)、日本のマックよりずつと大きく、その肉は食べ応えがあり、1個で昼食としては十分満足の行くものでした。
 9日間の市内滞在でしたが冬のシドニーは2日間のみ晴れて、あとは時折シャワーの来る天候で、最低気温10度、最高気温16度くらいで日本の11月末から12月初旬というところで、オーストラリアの東海岸は地中海性気候であるという、昔の地理の勉強を思い出しました。


                                                  茂木  記
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もなかのお店 「小ざさ」

2010/05/20 22:23
 吉祥寺の近くにいる友人が、時折「小ざさ」のもなかをお土産で持ってきてくれることがあります。大変有名なお店のものである事は聞いていましたが、最中は甘みのバランスがよく、とりわけ少し小ぶりなのが中高年向きと思えて美味しく賞味していました。
私の田舎の近く、足利市には有名な「古印最中」があります。それは四角で厚みがあり大きなもので子供の時には最高のお土産でした。その包装紙は書家の相田みつお氏のものです。
 吉祥寺の「小ざさ」が大変なお店であることが、その効率の素晴らしさがダイヤモンド社の「ちっちゃいけど世界一誇りにしたい会社」、法政大学教授坂本光司氏により書かれています。
お店のある場所は吉祥寺の北口に近いハモニカ横丁の一角にあり、このブログの2007年7月20日「戦後よりの小売業の縮図が見える街―吉祥寺」にも触れています。
このお店の売上高は年間3億円とあり、そのお店の広さは1坪ばかりの小さなお店なのです。
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そこで売られているものは最中と羊羹だけです。平日においてもいつも6・7人の客が並んでいます。この店はテレビや雑誌の取材に応えることはありません。
ここで働く人は30人程ですが、その内の3人は障害のある方を正社員として働いてもらっているそうです。1日に150本しか売られない羊羹(生産の限界で、販売も一人5本まで)と最中は、なんと今も羊羹580円、最中54円です。
この羊羹を買うには朝4時頃から並んで、整理券をもらいやっと買えるそうです。
是非一度ご覧になってください。


                                茂木  記
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銀座昨今

2010/03/18 21:33
 銀座を歩いてみると京橋から銀座4丁目にかけて歩道の植え込みのパンジーが大変美しく、春の装いを醸し出している。丁度それに合わせたかのように和光の角の大きなショウウィンドーが花のテーマで飾られている。ここのウインドウはいつも素晴らしい感性の内容を見せてくれる。

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4丁目の日産のショウルームの前に立つと鳩居堂の隣にユニクロの大看板が目に入る。鳩居堂といえば銀座でも地価の最高のところである。そのユニクロは昨秋より隣のビルにも店を広げて間口が最大の旗艦店になっている。そこより7丁目方面に南下するとメルサに先、フェラガモのビルの反対側の交詢社通り角に、昨年12月に開店したアーバンクロンビー&フィツチの店が目に付いた。
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4丁目からヤマハ楽器へと松坂屋の側を行くと、スペインのザラの店が沢山の若者を集めているのが目につく。
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更に行くとスエーデンのH & Mがシーズン最後のバーゲン中で更に込んでいるのが目に付いた。これらの店はいわゆるファストファッションの店で若い人の支持を得ている店ばかりである。
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各ブティックの専門店はあまり客の入りは良さそうではないが、ドアマンには20歳代のいわゆるイケ面の男性を配しており、中年女性の気を惹くことを意識している様子である。

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 ヤマハ楽器の建物が新しく高層になつていたが、入り口の近くには重厚な印象のピアノが置かれてあり、今までのような軽音楽楽器が並んでいる楽しさが失われており、心安く入る気分にはなれなかった。ヤマハホールも併設されているビルは最新の雰囲気はあるが、親しみが湧かないのは残念である。
 銀座の通りを歩いていると、以前の雰囲気とは変わってきている気がした。もちろん洗練された中年や年配の人も居るが見物の団体客が多いのが目に付く。
買易い価格帯の店には客は沢山入っているものの、高級ブティックはあまり多くの客は立ち寄っていないと思える。
しかし、暖かくなるに連れて人出も増えてくるものと思え、景気の緩やかな上昇が期待できるところまで来ている時期からして、更なる消費の拡大を期待したい。


                                      茂木   記
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家電量販店激戦地、池袋の昨今

2009/12/30 21:46
 暮の28日の午後1時頃に池袋駅の東口を出て、駅前に旧三越百貨店を買い取って最近オープンしたヤマダ電機の店を見に行っていきました。
駅前に立つと左手にはビッグカメラのビルが見え、ヤマダ電機の以前よりの店も目に入りますが、車道を越えた目の前にはヤマダ電機の最大と思える店がオープンしていました。この地区には他にサクラヤが有りますがそれは目には入りませんでした。歩道には多くの若者を中心にした人々が流れており、信号が変わるとドッとこの店の正面入り口から入って行きます。
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 その正面から入るとこの1階部分はデジタルテレビがフロアー全体に広がっています。
思いがけない事には正面から入った直のところには、19型や22、26型の物が沢山展示されているのです。そこには若い人達が何人も足を止めて見ています。そのサイズは個人用で多分既に2台目の需要が見えてきているのでしょう。
32インチ以上の展示スペースでは10万円を大きく割り込んだ価格も見られ、年配のご夫婦が「こんなに安くなっているのなら買おうか」との会話が聞こえます。各サイズ共に相談している夫妻の姿やテーブルで契約書を書いている客も多く、特に録画機能の付いた機種に注目が集まっているようにも見えました。
2階に上がってみるとデジタルカメラや関連器具が売られていますが、このフロアーでは客数は多いとは言えない状態でした。3階に上がると若い人たちが沢山おり、パソコンの品定めをしている様子です。この階が二番目に活気のある売り場と思いました。
秋葉原の電気街もよく出掛けますが、池袋の客層も多くこの量販店の集積は更に多くの客を引きつける要素となりそうです。新宿地区への影響が出そうな気がしました。


                茂木 記
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広告の挿入が始まりました

2009/12/03 22:27
 このブログのウエブリブログでは、編集者がオプションを使い広告を排除出来る機能が付いておりました。
しかしこの11月からは、この機能は外されて全部のブログに広告が入る様になりました。
現在掲出している30メガバイトの無料ブログサイトは無料のものであり、有料の100メガのものを契約すればそれを
避ける方法はありますが、財政的にはゼロのこの会では無理であると判断してこれを継続するしかありません。多少気にはなりますが、無料である利点を考えて皆さんのご了解を得たいものと思います。
読者の皆さんの中でご意見のある方は連絡してください。

メールアドレス   mogim@mtf.biglobe.ne.jp 茂木 稔

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葵流通会 幹事引継ぎ会と感謝会

2009/12/03 22:15
 10月21日(金)の流通会総会において、設立後7年を経て役員の変更がありました。
これに伴い岡本会長が退任して新見新会長に引継ぎがなされ、島田常任幹事から右澤新会長にバトンタッチされ、同時に常任幹事の豊生・川島・白土・茂木・石原・の方々が退任し、新しい今までより若いメンバーに入れ替わりました。
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 これまでの会長他の方々のご苦労に感謝する目的で、11月20日(金)に横浜市の港の大桟橋に近いスカンディナビア・レストラン「スカンディア」にて食事会が催され、上記の方々の他に、開設時より一諸に最近まで活動した森谷・樫原のお二人が参加し、更に新幹事長の右澤氏が同席しました。残念なことに新見新会長は仕事の都合で参加されませんでした。
このレストランの室内はデンマークの大きな木彫のキリスト教の教義の絵が架けられ、落着いた雰囲気の店で、この選択と手配は石原氏のによるものでした。コースランチを楽しんだ後は紅葉した銀杏の大通りを歩き、大桟橋に停泊している大型船を眺めてから山下公園の近くで解散となりました。
 長い年月に亘りチームワークの良い活動が出来た事と共に、外部から大学と学生への支援が出来た事に感謝と満足感を覚えながら帰路へつきました。


                                         茂木 記
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